さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

出会いと別れについて

先日

 

『今日暇?』

 

「今日は空いてない」

「どうしたん?」

 

『やっぱ大丈夫』

 

何かone of themに成り下がっている気がして、ウザくてブロック削除してしまった。

 

近所に住んでいる19歳大学二年生。家同士徒歩10分。

 

一年前に知り合ってからたまに遊んでいた。向こうが実家ということで、うちに来て一緒に料理したり、某韓国街に行ったり、花火したり。もちろん体の関係もあった。

 

父親が厳しくて気に食わないことがあると殴られたりするらしく、バイトで稼いだお金も口座管理されてて自分で使えるのは少しだけらしかった。

 

でも彼女はいつも明るかった。また、メイド喫茶で働いていたり、家では弟二人の世話役らしかったので、料理がとても上手だった。けれど、俺は光の裏にある闇を知っていた分、無理しているようにしか見えなかった。いつも明るく振る舞おうとしているけど何か無理している、笑顔が作業のような感じ。

 

いつもなら少しでも闇があると影響を受けたくないのですぐに切ってしまうが、家が近いので関係を継続していた。

 

最初の頃はどこにでも着いてくる子といった感じだったが、徐々に人への振る舞いが雑になってきてこれが擦れてくるということか、、とか思ったりしていた。

 

今回はその擦れが限界に達したのでブロック削除した。

 

基本的に、女は10代後半から20代前半にかけて指数関数的に擦れてきて、20代後半から30代前半にかけて若い頃より自分が求められないことを知って平均くらいに落ち着く。

 

今回の件も仕方がないといえば仕方がないことなのだが、限界まで擦れた原因としてこちらの向こうに対する対応も擦れ気味だったからというのが考えられると思う。家が近いし会おうと思えばいつでも会えるので扱いが雑になってしまっていた。反省している。(関係は切れても別に良かったのだけれど、自分自身の、人には真摯に接するというポリシーを破ってしまったので反省している)

 

今回学んだことは以下である。

・少しでも合わないな、とか違和感を感じたらいつまでもだらだらと関係を続けていくのでなく、すぐにフェードアウトするのが正解。

 

 

 

 

 

それにしても、出会いがあると必ず別れがあるということを実感する。最近は出会った瞬間に別れを想像してしまうまでになってしまった。

 

人に死がある限り、いくら熱い関係でも別れがくるしいくら軽薄な関係で続くように思えても最終的には別れる。

 

どうせ別れるなら、違和感を感じたらお互い時間と金を無駄にしないためにもすぐに別れる方がいい。世間ではそれが冷淡と言われるわけだが、単に合理的なだけであると思う。

 

人間的には少し寂しいことなのだけれど、そうする他ない。

 

それで今度はその寂しさを対処することを考え始める。対処法としては、仲の良い友達と遊んだり、異性と遊んだりと色々あるだろうが、人に依存した方法である限りそれは続かないと思う。なぜなら、人間関係には必ず別れが存在するから。

 

そうすると、一人で寂しさを紛らわす方法が求められる。例えば、何か芸術活動に没頭するとか、仕事をするとか、自己研鑽をするとか。

 

絶対に人に頼ってはいけない。

 

人は生まれる時も死ぬ時も、生きている間も結局は本質的に一人なのである。