さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

成人式の記憶

さとえ(@satooooo_e)です。

 

 2017年1月成人の日

紺のスーツに袖を通す。大学入学時に買ったもので、服に全く興味がなかった俺は一番安いものを選んで親に買ってもらった。以来、この日までスーツを着ることはなかった。塾講師等のアルバイトはしたことが無かったし、インターンにも行っていなかった。久々に纏った一張羅は当時20歳である自分を緊張させるには十分だった。

 

朝食を済ますと地元の町へと向かった。電車を降りて30分バスに揺られると、見覚えのある2本の電波塔が見えてきた。日本で10番目に高い建造物らしい。まだ小学生で地元に住んでいた時、祖母と散歩しながら何度も見続けてきたのを思い出した。

地元を離れたのは高2の夏だった。小学校の間ほぼ毎日通っていた駄菓子屋、小6の時に突如として完成した大型商業施設。中学時代はそこのゲーセンのメダルコーナーで毎日遊んだ。高校は県庁所在地にある学校に通った。雪の日はバスが運転を中止するので学校に着く頃には3限が始まっていた。これらの思い出を全て地元に置き、ペンと問題集を持って引っ越した。代わりに、学業は順調に伸びていった。

最寄りのバス停で降り更に10分ほど歩くと、実家に着く。ドアを開けて「ただいま」と言うと無反応。いつものことだ。合鍵は持ち歩いているので、急に入ってビビらせるのが恒例となっている。居間に入ると祖父母がコタツで足を伸ばしている。「あら、急にどうしたの」「成人式だからついでに挨拶に来た」成人式は、ここから徒歩20分の場所にある図書館のホールで行われる。町には中学校が2つしかないので大体は顔見知りである。「それにしてもスーツキマってるじゃない」「そうかな、ありがとう」違う。これは安物であり、ロクにサイズも合わせていない。ネクタイも適当だ。相変わらず祖母は褒めの天才である。

それから世間話をしていると叔母が夜勤明けから帰ってきた。「あー!来てたんだ!スーツいいじゃん!」どうやらこの家にいると本当に似合っていると錯覚する。この錯覚が小学、中学時代の自信のある自分を作り出していたのだと、ふと思う。引っ越してからは自己嫌悪に陥ることが度々あり、精神上安定しているとは言い難かった。それほど環境というものは大事である。

「そろそろ行かなきゃ」

時間が差し迫っていたので、切り出す。

「いってらっしゃい」

と祖母。

あと何回祖母とはこうして会うことができるのだろうか。おそらく数えるほどしかないだろう。健康に甘えて建前がない限りは会わない日々が続くのを予感する。俺は生粋のおばあちゃんっ子であったと感じる。母親とは価値観が合わず嫌悪していたが、祖母はいつも寛容だった。母、叔母とともに酒が入ると俺の悪口が聞こえてくることもあったが、母親のせいにして次第に慣れていった。こんなことを思いながら家から出、門扉を開け、会場へと向かう。

 

図書館最寄りのセブンに着くと、携帯で旧友に連絡した。早すぎるとの返信。それにしても、田舎の冬は寒すぎる。スーツしか着ておらず、外で待つのは寒すぎたので、旧友の家に向かった。5分ほど歩くと小学生の時に何度も訪れた家に到着した。玄関のチャイムを鳴らし、3分ほど待つと旧友が出てきた。大学に入ってからも何度か会っていたので久しぶりという感じではなかったが、スーツ姿は新鮮であった。それから続々と旧友が集まり出し、みんなもうこの町にはいない俺のことをわざと珍しがり、最終的に9人で図書館へと向かった。

 

図書館の駐車場には既に何人か同級生がいて、軽い会話を交わした。全く変わっていない者もいれば、大幅に変わっている者もいた。それぞれを楽しんだところで、寒すぎるので図書館の中に入り、ホールに入場する。もうこの時点で大体の人数は集まっていた。女子はみんな変わりすぎていて誰が誰だか分からなかったので、会話して確認するという寸法で各々に絡んでいった。

俺は1人本当に会いたい人がいた。その人が来ることをどうでもいいような素振りをして、心の底ではずっと望んでいた。小学校の時ずっと両思いだった子だ。向こうからの好意に気づいていたが、俺は約6年間気づいていないフリをし続けた。でも心の中では好きだった。特に高学年になってからは、彼女に会うために学校に行っていたといっても過言ではないし、授業中に見すぎて目が合って逸らすといったこともよくあった。運動ができる子で、はつらつで、小学生のくせに少し色気があった。中学校に上がる時の春休みの夜は毎日のように家に電話がかかってきて、長話をした。それが日々の楽しみとなっていた。春休みも終わる頃、長電話の中で向こうから告白された。俺も好きだと言ってそれから付き合うことになった。

中学生になってからも電話は週1くらいで続いた。だが、そのほとんどは向こうからの電話で俺からはかけることがなかった。恥ずかしかったのだ。その上、同じクラスの女子とかなり仲良くなり、しばらくすると向こうから直接別れを告げられた。当時の俺は何故振られたのか本当に分からなかった。そういう面では馬鹿だった。理由に気づくのには数年かかった。それから絡むことはほぼなくなり、中学を卒業した。

 

彼女が今どうなっているのかを知りたかったので、この日俺はどうしても話してみたかった。旧友と話しながらホールを見渡すが、彼女らしき人物は見当たらない。まあ、化粧で分からないだけで来ている可能性はあるし、これから来るのかもしれない。そろそろ式が始まるというので着席し、静かに開会を待った。

式が始まった。司会は2つの中学校の生徒会副会長から1人ずつ選出され、最初に俺の中学の生徒会長だった旧友が開会を告げた。手に思いきりカンペが書かれているのがどこから見ても分かり、開会早々会場に笑いが起きた。田舎の成人式というと不良が騒ぎ出すイメージがあるが、中学の時不良だった連中は外見はヤクザの様だったが態度は大人しかった。不良の中でも中学の終盤に受験とともに真面目に成り代わりかけた連中は外見も内面もかなり真面目になっていた。俺はどちら側の人間も人間臭くて好きだった。式も進み、中学の先生によるビデオレター。外見もノリも変わっていない人が多かった。当時のノリを思い出して笑い、そのまま無事に終了した。図書館から出ると、不良達がどこから乗り回してきたのか「卍〇〇中学校64期参上卍」とペイントされた小さいリムジンが駐車されており、やっぱり相変わらずだと思った。真面目な時は真面目なフリをしてふざける時はふざける。ズル賢い。悪知恵。これが地元の不良達の鉄板であった。みんなで写真を撮って一次会は解散した。外でも両想いだった子を探したが、見つからなかった。

 

夕方からは県で一番大きい駅の居酒屋を貸し切って二次会であった。それまで時間があったので旧友達と大型商業施設の中にあるとんかつ屋で昼飯を食べ、たわいもない話をして時間を潰した。途中、店員に居座りすぎだと注意されたがそれでも居座った。

日が暮れ始めた頃、駅に移動し、遅刻気味で居酒屋に着くとすでに40人ほど集まっており、俺達は手前の方の席に腰掛けた。もしかしたら彼女は二次会には来ているのではないかと思い、探したがここにもいなかった。

みんなが集まったということで二次会が始まった。俺は少し萎えた気分で酒を流し、用意された飯をつまんだ。見渡すと中学の時に目立っていなかった人もはしゃいでいたり髪を染めていたりして人は変わるもんだなあと思った。するとその当時目立っていなかった人の1人から酒を何杯飲めるか勝負を仕掛けられた。俺は酒の強さに絶大な自信を持っていたので、承諾すると勝負が始まった。酒自体はカクテルであった。マリブコーク、カシスオレンジ、シャンディガフ、ピーチクーラー、チャイナブルー、ルジェカシス...... シンプルに水分を多く取りすぎてダルくなってきたので10杯くらい飲み終えたところで、全然酔っていなかったがギブアップを宣言して負けたフリをした。相手は喜んだのか相当酔っ払ったのか分からないが、はしゃいでどこかへ消えた。俺は酔いよりも安定しない精神状態でまだ萎えつつあった。元カノとキスをする既婚者、女子にセクハラをする当時イケていなかった連中、それにまんざらでもない女子。みんな変わってしまっていた。それらを認めた瞬間完全に冷めて客観に入った。思えば、不良の中でも完全に真面目になった連中は二次会に参加していなかった。あいつらは全てを分かっていた。

そして、二次会が進んでも彼女が来ることはなかった。俺はまだ話していなかった人に話しかけることを繰り返してひたすら時間を潰した。それにしてもよくこんな薄い酒でみんな酔えるなとか考えていると、時間が来て二次会が終わった。

ふとこんな考えが頭を逡巡した。

人生の軸で考えると変わってしまったのはむしろ俺の方である。自然なレールを進んでいくとあのようになるのは当然で、むしろ冷めたり客観視したりする側がレールを外れていたのである。知りすぎたことの弊害である。俺は外見だけでなく内面までも変わって別人になってしまっていた。あるのはバックグラウンドという事物だけなのだと確信した。こういったことは自分からは決して気づけないので、ある意味で二次会には感謝した。

旧友と居酒屋から駅まで歩いて帰り、健全に解散し、俺は今ある家に帰った。道中、西友で度数の高い酒を買い、家で二次会を忘れるように大量に煽った。それでも酔えなかった。

 

 

 

2017年2月某日

やっぱり、1ヶ月経っても気になることが1つだけであった。彼女が成人式に来なかった理由である。彼女は行事に来ないような人間ではない。そんなに変わってしまったのだろうか。どうしても気になったので知っていそうな友人に連絡して尋ねる。すると、予想外の答えが返ってきた。彼女は妊娠しており、もうすぐ子供を出産するとのことで式に来れなかったのだ。でも、冷静に考えれば普通のことであった。ただ生きていく中で都合がつかなかったので来れなかっただけである。おそらく、性格は変わっていないだろう。変わってはいないけど来れなかった。

また、その報告を知った瞬間、もう俺のことなどはとっくに忘れているのだろうなと思い、切なさに駆られた。いつまでも考えていた訳ではないが、たまにどうしているのだろうかと考えることがあった。それなのに、向こうはもう俺のことはどうでもよくなって幸せになっていた。人間次に進み続けるのは当たり前である。

しかし、一方で結婚は人生の墓場であるという言葉がある。出産して数年が幸せのピークだろうと必死に思い込んだ。それからは時が止まり、進むことはないと考える。幸せは十分に用意したところで掴むものであり、その用意が周到であればあるほど長続きするし、享受する幸福量が多いと思う。

 

 

 

2019年1月成人の日

あれから2年が経つ。もう俺も過去に縋るのはできるだけやめたつもりだ。重要なのは未来であるから、それに向けていかに現在を積み重ねていくか。

でも、もう向上心とか、幸せとか、そういったものが全てどうでもよくなったら彼女ともう一度ゆっくり話したいとたまに思ってしまう時がある。それすらモチベーションになって頭の片隅に存在し続けているのかもしれない。