埼玉カレンダー vol.1:プライドとともに生きる28歳の美容師が行き着いた結末
さとえ(@satooooo_e)です。
埼玉には、様々なバックグラウンドを持った人たちが住んでいる。埼玉で生まれ、埼玉で育った人。南部に住んでおり、東京まで通勤をする人。北部には農業を営んでいる人もいる。
東京に近いが、遠い。このジレンマを抱えた生活を送る埼玉県民だが、いつか"強制的に"この街を卒業する時がやってくる。
かもしれない。
果たして、彼、彼女らの人生は、幸せなのだろうか?
埼玉は東京に近いから羨ましい。時々、地方民からのこういった台詞を耳にする。大宮駅から池袋までは一本で約30分、新宿までは約35分、渋谷までは約40分。それほど近いとは言えないが、言われるたびに私は虚勢を張った笑みを浮かべる。
この強情はいつまで続ければいいのだろうか?
私は埼玉で生まれて、埼玉で育った。東京への憧憬は昔から十分に抱いている。煌びやかで豪奢な生活を送る港区女子。東京カレンダーを見るたびに遣る瀬無い気分になる。
◆
「後でプリクラ撮りに行こ!」
ソニックシティの中にあるサイゼリア。放課後はいつもここで友達と話すのが恒例となっていた。大宮駅から程よく離れており、店内も空いているのだ。
「行こ行こ!!」
私たちはテニス部仲間である。正直、部活に打ち込むことがカッコ悪いと思っているので、いつもサボってしまっている。沙羅、雪乃、私の三人は「部活サボり部」
と銘打ってサイゼリアで活動しているのである。
今頃、学校のグラウンドでは真面目な人たちが熱心に部活に取り組んでいる。部活なんてどうせ将来に繋がらないし、やるだけ無駄である。
「ねえねえ、あそこに座ってる人イケメンじゃない?佳奈が好きそうなタイプじゃん!」
「ほんとだ!絶対好きでしょ!」
「うーん、微妙じゃない?もっとカッコいい人いるよ」
はっきり言って、私は同年代の男子高校生がタイプではない。表面上は、チャラそうな人がタイプとか言ってるけど、どちらかというと大人っぽい色気を纏った、リードしてくれるような男性がタイプだ。それに、恋愛自体に興味があまりない。
「佳奈は理想が高いからね〜」
「可愛いと自然にこうなっちゃうんだよ」
「うるさい!笑」
でも、「部活サボり部」でいる時間は楽しかった。世の中の誰もが憧れる華の女子高生。そんな季節を有限とは知らずに、ただ無意味に過ごしていた。それに、女子高生が無限に続くと思っていた。
若さと可愛さでなんでも許される。将来は上京して何にでもなれるのではないかという漠然とした思い。
でも人生はそんなに甘くないなんて、誰が想像できただろうか。
◆
あれから10年が過ぎ、私は28歳になった。20歳の時に美容師の専門学校を卒業し、下積みを経て26歳でトップスタイリストになった。部活にハマるなんてカッコ悪いと思っていた私は、美容師になったのだ。
今日は大宮駅で美容師仲間とご飯。東口にある「伯爵邸」でディナーの約束だ。
ラクーン前を歩く。学生時代はよくここでナンパされた。若さと可愛さは一瞬で過ぎる。
ナンパに着いて行くなんてプライドが許さなかった。だが今の私なら当時の私にこう言う。プライドなんか捨てた方がいい。
果たして、旬を過ぎた果実は摘み取られない結末にあるのだろうか?
5年前、私は一度だけ東京の三軒茶屋に住んだことがある。専門を卒業して埼玉の店でアシスタントを経験した後に、渋谷の店で働くことになった。
店が閉店した後も、マネキン相手にひたすらカットやパーマの練習。新人が居残って練習し、店の戸締りをするのが普通だった。帰る頃には日が回っているのが当然で、終電を逃してタクシーで家まで帰るなんてこともザラだった。店の屋上で1人缶コーヒーを買って、夜空を見上げながら泣くこともあった。
数ヶ月間耐えつつも働いたが、私はある日、職場に向かう途中の電車で倒れて病院に運ばれた。医者からは体を酷使し過ぎている、と言われた。
それから数日後、私は店長に退職届を提出した。東京は思っていたよりも危険な場所だった。仕事に次ぐ仕事で若さを武器にする暇もなかった。永遠に続く自己投資と、それを顕示する機会のない生活は終わりが見えなかった。いわゆる"キラキラ女子"に、私もなりたかった。どういった条件が整っていれば、彼女らのようになれたのだろうか。それとも、"キラキラ女子"というのはマスメディアの発達による幻想なのだろうか・・・。
私は結局、地元埼玉の店に出戻りすることになった。
適当に高校時代を過ごし、専門学校に進学し、流れに身を任せて美容師になった。努力をしなくてもなんとかやってこれる方ではあると思っていたが、上には上がいたし、才能がある人が努力するとそりゃ敵わない。
恋愛面なんてすっかり考えていなかったことに気づいた。「部活サボり部」の仲間だった沙羅は既に結婚して子供が1人いる。雪乃は高校を卒業してからも男遊びをしていたが、今はいい人を見つけたらしく、落ち着いている。2人は私より可愛くなかったが愛嬌があった。要は、プライドの問題だった。
「伯爵邸」のドアを開けると、中には既に美容師仲間が座っていた。
「おまたせ!」
「来た来た!早く食べよ!」
同じ店で働く美容師仲間は、ほとんどが埼玉で育った人たちだ。
「佳奈は今気になってる人とかいるの?」
「今はいないかなあ・・・」
「見た目若いしモテそうなのにね。何かいい出会いないかなあ」
「マッチングアプリとかは?」
「うーん。それって不安にならない?」
「確かに。絶対不安になると思う」
「tinder」をインストールしてあるスマホの画面を隠しながら、私も賛同する。本当にどうしようもない。もういっそ何もかも諦めてしまおうか。
店を出て、私は帰路に着く。家族には私情に干渉されたくないので、シャワーを浴びてすぐに寝る。明日も仕事である。
◆
翌日
「・・・ですよね」
「大丈夫ですか?人の話聞いてます?笑」
「えっ?」
やばい。完全に上の空だった。無意識にお客さんの髪だけは上手くカットしていたが、話は全く聞いていなかった。
「ごめんなさい。今、なんの話ししてました?笑」
「だから、一生懸命人生を送っている人って素敵ですよねっていう話です」
「それは思います」
「なんか、佳奈さんからはめちゃくちゃ一生懸命生きてる雰囲気を感じるんですよね」
「えっ私が?そんなことないです」
「そんなことあります笑 あ、その驚いた表情も素敵です」
「やめてくださいよ笑」
余計なプライドが働く。
カットが終わり、シャンプーを担当している間もその男は私をからかってきた。
「3000円のお会計になります」
「はい。あ、あとこれに僕のLINEのID書いてあるので、失礼じゃなかったら連絡ください。一緒にご飯行きましょう」
先ほどとは違い、少し早口になって話す男。私は、彼が少し緊張しているのがわかった。これ、真面目なやつかもしれない。
家に帰り、私はIDを検索する。アイコンには無邪気に笑う男の顔が写っている。「追加」ボタンに指を伸ばすも、躊躇する。今まで、この一歩がなかった。あの時、素直になれていたら。人生には後悔がたくさんある。
ここまでたどり着くのに何年かかったか。
そうだ、私はもうプライドを捨てるんだ。