さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

余裕と精神について

さとえ(@satooooo_e)です。

 

過剰に働きたくない。金は最低限あればいらない。就職なんかしなくてもフリーターでいい。そんな考えを持った友人が俺の周りには多い。良く言えば、余裕がある。この余裕を持つということはかなり大切であるということを最近実感している。余裕がないと、まず精神が崩壊しやすくなる。体裁よりも世の中よりも大切なのは何よりも自分であることは間違いない。就職は会社を辞める前提でした方がいいし、学校はいざとなったら登校しなければいいし、重要な場面でこそどうでもいいと思って臨んだ方がいいことに気づいた。何かに期待をしてはいけない。

 

ちなみに、フリーターで十分という考えには著しく賛成である。今内定をもらっているが、3月にやっぱり辞退するというのも余裕で視野に入れている。入って少し経ってこんなもんかと思って飽きたら辞めるのでもいいけど。つか、普通に来年の4月からバリバリに週5で働くというイメージがなかなか掴めない。まあやるとしたらやるからには全力でやるんだろうけど、どっかで必ず俺は要領よく抜け道を探すと思う。俺は人より楽な道を開拓することに人一倍長けている。というか、精神に負担がかからない方向に必ず進む。決断とかも、2択を迫られるとどっちを選んでも後悔することは分かりきっているので、適当に脳死でどちらかを選ぶ。選択にはストレスが伴う。

 

思えば、ここ1,2年、余裕というものを意識し始めてから何かについて悩むということが極端に少なくなってきているように感じる。いわゆる、脱メンヘラである。悩む奴なんて大抵メンヘラである。メンヘラには自分自身の心の中で近いものを感じているため、同族嫌悪だと思うのであるが、自分は強かさや余裕を前面に出すことでポジションを表明しているのである。つか、男のメンヘラなんて第一として需要がない。しかし、やはり一番重要なのはいつ死んでも構わない、全て詰んだら死ねばいいという心構えであるように思う。メンヘラの自殺未遂などは、あんなものは死ぬ勇気など殆なくて、ただ承認欲求を満たしたいがための行動であるから、いささか強かさは感じられない。だが、強かさも弱さを経験してから手に入るものだと思う。