さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

正しさについて

さとえ(@satooooo_e)です。

 

俺の一日

A.M.07:00 小鳥のさえずりと共に起床

 

A.M.07:30 オーブントースターで食パンを焼くおばあちゃんを横目に白米をよそる

 

A.M.07:45 歯磨きを終えるとなんだか眠くなってきたので二度寝

 

P.M.13:00 おばあちゃんに昼飯の催促をされ起床

 

P.M.14:00 歯医者を寝ブッチしたことに気付く

 

P.M.14:30 最近の趣味は寝ることなので、三度寝

 

P.M.18:00 母親が帰宅したので速攻で起き、洗濯物を取り入れて起きていたフリをする

 

P.M.21:00 夜飯、風呂、歯磨きを終え、一日の疲れを振り返って安らかな眠りに就く

 

 

最近はもっぱらこんな感じの生活を続けているが(三度寝が四度寝になることがまあまあある)、正直誰にも迷惑をかけていない。俺の中では俺が正しい。

 

正しさに答えというものは存在しないと思う。なぜなら、正しさというのは法律とかを除けば主観によって決まるもの(その人が育ってきた環境とか価値観とか)であるから。大体、主観で判断が決まるような概念に正解は無いと思う(哲学など)。

 

人殺しが悪と思っている人は多いだろうけど、被害者が本望で殺されていたとしたら、集まった悪というものは実体をなくして彷徨う。

 

正しさには善か悪かとかいうような類のものもあるが、それとは別に適しているか適していないかみたいな正しさもあると思う。例えば、ずっと住んでいた故郷を離れて見知らぬ土地に最初足を踏み入れた時、そこは正しくないと感じる。

 

というか、正しさに関わらず日本語には意味を後付けできる概念が多い気がする。適当な文脈中にそれっぽい単語を置けばそれっぽくなる。

 

個人的に、いわゆる「エモさ」の根源はこれだと思っている。