さとえブログ

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三島由紀夫『仮面の告白』から見た人生の演技性

さとえ(@satoe_chan_)です。

 

仮面の告白』は1949年に発表された三島由紀夫の2作目の長編小説で、彼の自伝的小説である。この作品で、彼は24歳で著名な作家となった。

 

俺がこの本と出会ったのは大学三年の春である。大学に入ってから『潮騒』を読んで三島由紀夫にどハマりした俺は、『金閣寺』、『永すぎた春』、『午後の曳航』などの彼の作品を次々と読んでいき、そういえば『仮面の告白』は有名だけどまだ読んでいないなと思い立って遅ればせながらこの小説を読んだ。読了後、この小説には三島由紀夫の全てが端的に表されていると感じた。彼のことを知りたかったらこの小説を読むのが最も手っ取り早いだろう。

 

仮面の告白』の主人公は三島由紀夫で、語り口は一人称である。彼はこの小説について次のように言及した。

「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」

まだ読んでない人にとっては何を言っているのかさっぱり分からないと思うが、読了後にはこの一文は『仮面の告白』を表すにはとても適した文章であるということがよく理解できると思う。

小説の内容としては、女性に対して不能であることを発見した青年が、幼少時代からの自分の姿を丹念に描いたもので、ジャンヌダルクになりたいと思ったものの実はジャンヌダルクは女であることに気付いたり、セバスチャンの殉教図で射精したり、ホモで女に対して性欲が湧かないのに女と付き合ったりする物語である。

 

実際に三島由紀夫はセバスチャンの殉教図で精通をしたし、ホモであった(美輪明宏のことが好きすぎて一緒の映画に出た)。

彼は厳格な家庭で育てられ、学習院に進み、東大法学部を卒業後、大蔵省で働くも辞めて作家となる。幼少期は礼儀や作法を厳しくしつけられ、外で走り回って遊ぶことも男の子の玩具も禁じられ、遊び相手は女中か看護婦、祖母の選んだ女の子だけであった。また、言葉は女言葉を使うように教育された。

 

概して、作家には幼少期の頃に女性に育てられた人が多いと思う。太宰治川端康成も女性がつきっきりな環境で育ったと言われている。

そして、彼らは大和言葉と言うべきか、明らかに男が書くものとは違う、古文のような文章を書く。

三島由紀夫の文体は中でも群を抜いて緻密である。ひたすら修飾語や比喩の連続で、情景を思い浮かべたとしたら隅々まで全て想像できるような文体である。しかも、一度用いた修飾語や比喩はその小説内には二度と使われていないように感じる。語彙力が高すぎてたまに訳のわからない言葉が使われる。しかし、辞書を引くとしっかりと載っている。

また、彼は人間の内面的なものを細かく、正確に言語化するのが非常に上手い。私たちが普段、基本的には抽象的に考える葛藤や逡巡をここまで科学論文のように書き出せる作家は見たことがない。

 

仮面の告白』というタイトルであるが、告白しているのは三島由紀夫であるから、仮面というのは彼のことである。彼が仮面と定義するものは、人生においての演技性である。つまり、人生とは演技なのである。人間は法律の下で法律を遵守する演技をしながら生きていかなければならないし、恋愛においては結局デート、キス、セックス、浮気、不倫という用意された舞台の上で演技をしなくてはならないし、一度生まれたら人生の最後に死ぬという演技をしなくてはならない。分かる人には分かると思う。

 

 

 

※以下ネタバレ含みます。

 

 

 

物語の中で主人公が園子という女に恋をする場面がある。彼は彼女に性欲を全く感じないことに気づく。キスをしても何の快感もない。この後、彼は自分の異常性を悟り、演技を辞めて彼女をフる。その後彼は風俗に行くが、女性に対して不能であることが確定する……。

 

これに似たような感情は自分と多数派の価値観が違った時に抱くのだと思う。人間は他の人とは違うことに気づくと自分を異常だと思い込む。すると演技をせざるを得なくなる。

俺自身、喜怒哀楽を感じにくいがゆえに、無意味に喜んだり根拠もなしに怒ったりする人たちを見て自分の異常性を感じる時がある。演技するのも面倒なので大抵は傍観してしまう。

 

結局、物語の中で園子は他の男と結婚をする。それを知った主人公は、彼女を捨てた当然の結果だと自分自身に言い聞かせ、虚勢を張る。

しかし、結婚後、主人公は彼女とばったり再会してしまい、何度も逢い引きを重ねるようになる。そして、彼は性欲のない恋などあるだろうか?と考え始める……。

 

この小説のラストシーンはとても秀逸である。

園子との密会中、図らずともある美しい肉体を持つ男に釘付けになってしまう主人公。園子の存在を忘れて彼に見入っていた時、「あと5分だわ」という園子の哀切な声を聞く。その刹那、彼は自分の中で何かが残酷な力で2つに引き裂かれ、彼という存在が何か一種の恐ろしい不在に入れ替わるのを感じる。もう一度男の方に視線をやると、空っぽの椅子と卓の上に溢れた飲み物が、ぎらぎらと反射しているだけであった……。

 

解釈は自由であるが、彼は何者にもなれなかったのだと思う。男と男が恋愛することが良いことであると認められていない以上、女に対して不能であるということは彼を世界から疎外する要因に十分なり得たのである。

 

しかし、もしも恋愛において性別の縛りが緩和されつつある現代に彼が存在していたとしたら、果たしてこの小説は生まれていたであろうか?

 

仮面の告白 (新潮文庫)

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