さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

2018年のプチ懺悔。さとえより。

さとえ(@satooooo_e)です。

 

今自分が感じていることを全てまとめます。

 

スマートフォン、仮想通貨、プリクラ、ブログ、LINE、Instagram、プログラミング、大学、東京スカイツリー、シャドウバース、乃木坂46、米津玄師、BVLGARIの香水、昭和、平成、すべて年ごと、元号ごと忘れる師走のクライマックス。

 

平成は日本の元号の中で4番目に長く続いた時代らしい。次の元号を知らずに死んでいく人達もいれば、元号なんてものは無限に生成されるのだから何だっていいと考える人もいる。

ただ、一つ面白いのは平成生まれである俺にとって、人生の大半を占めているのはほぼ確実に平成ではなくなるということである。80年くらいある人生のうちのたかが20年と少ししか平成は占めていなくて、残りは未だ分かっていないということ。それは死ぬ直前にしか分からない。

 

忘年会後の改札前でのよいお年を、知らん人からのLINE、海辺でのPV撮影、日本橋で食った寿司、訳の分からない女と見た打ち上げ花火、早朝4時のハチ公前で刺さる冬の風、大物感ありそうな人のTweetを遡っていたら明けていた夜、何分も待たされた挙句ドタキャンされた待ち合わせ、それを別の人に復讐しようとするも呵責する良心、怒りの終着点はどこなのか、又貸しな感情。

年末にはどこか独特な雰囲気がある。気のせいか、街が暗鬱としている。クリスマスで浮かれすぎた反動であろうか。高校まで真面目だった奴が大学でめっちゃ落ちこぼれるのと同じか。

 

みなさん、平成最後の年越しの瞬間はどうやって過ごす予定ですか?この文章を書いている人間に本当に会いたい人は2019年1月1日の0時に浅草寺に来てください。

LINEが年賀状に取って代わってしまったのは二千何年からだろうか。その前にデコメがあったかも。いつかLINEも古くなる時が来るでしょう。年賀状を出す人はいなくなるでしょう。ポケベルがサービスを終了したのと同じように。

年越しの瞬間、俺は一体浅草寺で何をしているのだろうか?というより、何をすれば良いのだろう?くそほど呆れるような田舎で育ったけど21歳にもなったら東京で年を越せるようになりました、Twitterでも見ず知らずの人と沢山会えるようになりました、あなた方地元の連中とはもう違うんです、仲の良かった地元の友達からのLINE、一瞬光るスマホを見て優越感に浸ればよいのでしょうか、でもやっぱり思い返すとなんだかんだ地元の友人が一番に好きで、でも名誉や金に足を引っ張られてて、どっちが足を引っ張ってるのかが分からなくなって、それからが本番とか思い込んで見て、最終的に1人になって、また同じことを繰り返して。

スマホが光って、でも反応しなかったのは正解なのでしょうか?優越感に浸るために俺は浅草寺に行くのでしょうか?屋台で適当な飯を食いながら帰りたがっているのでしょうか?参拝に並んでいる間の高揚感は年が明けた瞬間、たった1日の日付が変わった瞬間に消失してしまう程度のものなのでしょうか?やっぱり地元の連中とドライブで東照宮に行ってればよかったのでしょうか?

 

そもそも外で年を越すという発想自体が間違っていて、やっぱり那須川天心vsメイウェザーが観たいし、紅白観た後の微妙な時間に年を越すのも良いし、ガキ使観るのでも良いし、もう何でもいいかもしれない。

どうやっても自分の美学みたいなものは言語を通している時点で100%は相手に伝わらなくて、喋っても訳のわからない反応をされて、でもそれが社会に出るということで、その中で一筋の光明と出会うのが楽しくてやめられなくなって、いつの間にか優越感が自分の中で育っていって、でも客観的には大して周りと変わらなくて、振り返っても何もなくて、でもそれでいいという人の意見を真に受けて、適当なバーにいる人間に適当に話を合わせて、体裁と共感を等価交換して、臨界点に達して何にも得られなくなって、他に手を出して、自分自身が気に食わなくなって、酒も上手く飲めなくて、他の人も同じだと必死に思い込んで、1人でいるときに限って頭が無限に回転して、でも普段は全く働かなくて、勝手に決めつけてるのが楽で、古典を読み漁っても何にも、本当に何にも解決しなくて、暗中模索を広辞苑で引いたりして。

 

人生のきな臭さに耐えられなくなって楽なもんで逃避して、また優越感を覚えて、身の回りのものに必死に投資しまくって。愛煙家からは煙草は吸うなって言われるし、大物に限って遅れて登場するし、それを真似したらただの落ちこぼれになるし、日本列島の中心は岐阜か長野か分からないし、各都道府県にしっかりと思い出があるし、それなのにまだ人生は倍以上はあるし、勉強したいことは無限にあるし、でもそれは本当は有限だし、有限を無限と感じる自分の脳に分泌する脳内麻薬に呆れるし、ブログはどれだけ書いても終わりがなさそうだし、

 

そんな寸法です。来年もよろしくお願いします。