さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

現役慶応生が語る、学歴というものについて

こんにちは。さとえ(@satoe_chan_)です。誰か世の中の杉を全て伐採してください。

今回は、学歴について話していこうと思います。最近、身の周りの人をはじめとして、学歴を正しく理解していない人が多すぎる。なので、啓蒙する目的で書いていきます。

 

 

 

・はじめに

アルバイトを始める時や就職活動をする際には履歴書が必要で、学歴は履歴書に必ず書くものです。一般的には、偏差値の高い高校や大学を卒業した人は有能であるとみなされます。

また、TwitterなどのSNSにおいては、よく学歴の話題になったり、それで喧嘩が勃発しているのをよく見かけます。

今の日本において、学歴はここまで身近なものであるのに、学歴そのものに目を奪われすぎて、自分の社会のありようと学歴について正しく理解していない人が多すぎる、と僕は思います。

 

 

・学歴の過大評価

まず、日本人は、学歴を過大評価しすぎていると僕は感じています。これは、昔は日本が学歴社会であったということから、教育によって刷り込まれてきた結果だと思っているので仕方のないことですが、今の日本は完全に実力社会だと思います。学歴を持たずしても成功している人は世の中にたくさんいます。

 

 

・なぜ学歴は過大評価されるに至ったか

学歴の過大評価が日本で根付くようになった背景には、戦後の教育があります。

戦後の教育というものは、一般的な国民を育てる教育、つまり、全体的に個々人の能力を均していく教育で、人と人との間に差ができないようにすることを目指したものでした。なので、我々10代20代の親は、「常識に従え」だの「みんなと合わせろ」だの言う人が多いです。

そうやって教育されていく中で、唯一、周りと客観的な差を生むものが学歴です。均等に教育されたはずなのに、一人一人勉強のできが異なる。これは各々の元の能力が違うからだ、と思い込んだ結果、社会に出てからも学歴で人を見たり、高学歴であるのに仕事ができない人間を馬鹿にしたりする人たちが誕生しました。

そういった人間に素直に教育された子供は、もちろん、価値観を受け継ぎます。なので、我々10代20代の世代でも、学歴を異様に偏重している人は多いです。

 

  

・学歴は一つのステータスにすぎない

学歴偏重主義は戦後の教育の結果であると言うことが分かりましたが、次に新しい学歴のあり方について考えていきましょう。

僕は、学歴は個々人の一つのステータスにすぎないと思います。

例えば、足が速い人がいたり、料理が上手い人がいたりするのと同じで、学歴が高い人がいるだけなのです。

そもそも、学歴というものは根本的に、学校で教えられる勉強ができれば手に入るもので、学歴が高いからといって他のことができるとは限らないので、学歴は一つのステータス止まりなのです。

学歴があれば、戦後式の価値観を持った人たちのコミュニティの中では評価されますが、これは足が速い人が陸上のコミュニティの中で評価されるのと同じ原理です。

なので、学歴があるからといって、勉強以外の他の物事もできるとは限らないのです。正直に言って、今の日本は明らかに実力主義であるのに、価値観は学歴主義の人が多すぎて矛盾していると思います。

 

  

・さいごに

僕は、学歴を偏重している人たちは愚かであると思っています。そんなことをしていると、一生戦後の価値観から抜け出すことができません。考え方をアップデートしないと、スマホにケチをつける老人のようになってしまいます。

また、これから受験をする人や、受験に失敗した人に伝えたいのですが、学歴を過大に気にする必要は全くありません。

日本の矛盾を解決するためには、我々が一刻も早く学歴は一つのステータスにすぎないということに気づき、考えを変えていくしかありません。