さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

中学生の時に出会った天才について

さとえ(@satooooo_e)です。

 

2011年、中学校3年の帰り道、後に現役で東大理一に入学することになる天才少年と俺はよく一緒に帰っていた。家の方向が同じだったのだ。彼は自転車通学が可能な地区に住んでいたのに、何故かいつも徒歩で登下校していた。彼は中2の春に転校してきた。俺と彼はまた遅刻魔であり、塾へ通うのにはバスを使っていたのであるが、そのバスもたまに同じだった。

 

思えば、俺が中3から勉強に目覚めたのは彼の影響だったのかもしれない。20分間の下校時に彼は色々な教養について俺に教えてくれたし、また互いに議論しあった。約200カ国に対応する首都の名前を言い合うゲーム、ノーベル物理学賞受賞者の名前を言い合うゲーム。答えられなくなるということは、一度言われた言葉を二度繰り返すことよりも恥だった。2006年にペレルマンが証明したポアンカレ予想について彼は教えてくれた。また、リーマン予想というものがあり、それはまだ証明されていないということも教えてくれた。数学の浪漫に魅せられた俺は、その頃は数学科に進学し、リーマン予想を証明すると本気で思っていた。リーマン予想は未だに証明されていない。

今も頭の中にある様々な偉人の名前と業績の多くは彼から教えてもらったものである。無限という概念について考えすぎて狂い死んだ数学者カントール、そのカントールと仲が良かったデデキント精子に血を与え続けホムンクルスの生成に成功したと言われている錬金術パラケルスス......。彼が知識を得る方法は、インターネットの検索欄に適当なひらがなを入力して出て来る予測ワードのうち興味深いものを深調べする、といったものだった。俺も負けじと同じ方法を用いて教養を調べまくった。中2まで勉強面で秀才として通っていた俺は彼の知識や論理といったものに対して初めて羨望を抱いた。定期テストの順位や模試の点数で負けることは何とも思わなかったが、図鑑や、知らない土地での経験、祖父から教えてもらった昆虫の教養など小さいころからの累積したもので完封されるというのは強い衝撃を感じた。

 

いくつか彼が分からないだろうと思われる知識を調べると、翌日すぐに彼に自慢した。しかし、その少なくとも3分の2は彼の知るところであった。彼が知っていなかった情報で特に印象に残っているものは、いわゆる膨張霧箱であるウィルソンの霧箱、ハイチの独立運動指導者であるトゥーサン・ルーヴェルチュール、そしてオリオン座の真ん中に並ぶ3つ星アルニラム、アルニタク、ミンタカである。

 

何度か彼の家に遊びにいったことがあるが、彼は双子の弟と一緒にカブトムシやクワガタを50匹は飼育していた。彼はまた昆虫採集においてもプロであった。1度、早朝4時頃に彼と彼の弟とトトロの森という名称で呼んでいる密林に昆虫採集をしに出かけたことがある。彼らがトトロの森と呼んでいた場所は、俺と小学校の時の友人が何年もかけて発見した、カブトムシやクワガタがたくさん取れる場所であった。彼らはそこをわずか数ヶ月で見つけたらしかった。双子の弟は不登校であったし、天才の彼は友達関係が広くに及ぶタイプではなかったのでもちろん自力であろう。

 

塾の帰りのバスでの会話で印象に残っているものは、俺が3次元立体の辺は同じ長さのところでも場所によって違う長さに見えてうざったいと話したら、さんざん嘲笑された挙句に2次元と3次元の違いについて力説されたことである。今思えば当たり前のことなのであるが、当時の俺は中々理解するのが難しかった。高校受験の結果は、俺は滑り止めで県内3番手の私立に進学し、彼は余裕で3番手公立のトップコースへ進学した。

 

2018年7月現在、彼を超える真の教養の持ち主には未だに人生で遭遇したことはない。ある特定の分野で優れた知識を有していたり、段違いの数学的センスを持ち合わせていたり、人たらしにおいて全国トップレベルの人はいたとしても、中3の当時、俺が絶望的な衝撃を受けた、死ぬほど洗練された天才に勝てる人物はいないし、おそらくこれから会うこともない。なぜなら、当時の俺が天才的に感じたのは2人の知識の差に猛烈な隔たりがあったからであり、言うなれば彼は早熟すぎる天才であった。今では、ある程度教養に魅せられた人間が、努力を積み重ねていたら絶望的なまでの差というものはでき得ないだろうし、あの電撃的な感覚は中3の時の俺にしか味わうことができなかったものだからである。ただ、彼についてもう一つ言えることがあるとすれば、彼は気づきについてトップクラスの才能を持っており、好奇心の申し子だったということである。

 

2年くらい前、地元の友人との雀荘帰り夜10時、彼と駅で遭遇したことがある。彼は東京大学で何かの実行委員長をしているらしく、博士課程に進むつもりでいると言っていた。博物館員になりたいらしい。俺は4月から社会人である。