さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

クライマックス迎える平成

さとえ(@satooooo_e)です。

 

平成最後の夏だとか喧伝されている割には、平成最後の梅雨が終わっても無関心なのが日本。平成最後の夏はいつもより早くやって来た。平成最後のワールドカップもあと2週間で終わる。

 

夜の道を歩いていた。この時期の夕方と夜の境目の空はあんまりにも美しすぎてイヤホンを耳につけるのすら勿体無い程。五感で感じる早めの夏は平成のクライマックスを予感させる。始まりは終わり、終わりは新時代の始まり。つまり、終わりばかりに目をとらわれていても仕方がない。真に重要なのは何かが始まるということで、それは終と表裏一体。平成最後の夏であることに何の意味もない。新時代最初の夏も同じ。春も夏も秋も冬も全て終わったかと思えば地球が滅びるまで永遠と繰り返す。思うに、宇宙が組み込んだ自然というアルゴリズム自体に終わりはないのだと思う。人間には終わりは存在するけど、自然には終わりはない。

 

それはさておき。夏は単純に暑いから嫌い。冬は着込めばいくらでも体温は整えられるけど夏は脱いでも全裸以上に脱ぐことはできない。暑い。

 

去年の七夕に行った沖縄を思い出す。空港を降りた瞬間、ここはサウナかと思うほど蒸し暑かったのを覚えている。友人の寮の公共スペースに寝転んで泊まろうと思ったが、暑すぎたのと虫が想像以上に寄ってくるので徒歩3分くらいの満喫に泊まった。何故だか知らないが、BoAのメリクリ。や、B’zいつかのメリークリスマス稲垣潤一クリスマスキャロルの頃にはと季節外れの曲ばかり流れていた。夜にドライブで行った知念岬では、滅多に遭遇することのできないヤシガニエンカウントし、捕まえて写真を撮った。沖縄の夜空は東京のネオン反射とは違い、水面へ差す月光の反射を映した空だった。

 

手帳を開き、予定表を見る。夏の予定はいくつか入っている。もちろん旅行の予定もある。しかし、ただ一つ確かなことがある。同じ夏は二度と繰り返さないということである。

 

始まりがあって終わりが存在することは表裏一体だけど、同時に時間には不可逆性がある。