さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

中学生の時に出会った変人について

さとえ(@satooooo_e)です。

 

 

2018年8月

人生で出会った友達の中で一番ヤバい奴は誰か?と訊かれると、特定の人が思い浮かぶ人も思い浮かばない人もいるだろうが、俺の人生には間違いなく根本からヤバかった奴が1人存在する。

 

 

2009年4月

中学1年の春、彼に出会った。出席番号順に並んだ席で、俺の二つ前の席が彼だった。第一印象は老け気味の陰キャラだった。

最初に話したのは体力測定が終わった時。50m走のタイムを測る時、俺は彼のスターティングブロックを任された。2人ずつ走るので、出席番号順で2つ後ろの人が任される。彼は50mを見たことのない速さで駆け抜けた。俺の小学校の中だったら確実に1位だと思った。しかも、外見に釣り合わない足の速さだったので、そこが更に興味を引き立てた。俺の小学校では、足の速い人は少なくとも陰キャラではなかった。

体育の授業が終了した後、俺はすぐに彼に話しかけた。

 

「お前足めっちゃ速くね!」

「いや別にあんなもん普通だよ」

「うちの小学校の中だったら1位だぞ」

「自分より遅い人に興味ないから」

 

気に入った。

 

そこから彼とは頻繁に話すようになった。休み時間のたびにくだらない話をした。彼と話して知ったことは、彼が超ド級の変態であること、女子アナについての知識が卓越していること、将来の夢が女子アナ評論家であること、ニュース・政治について中学生の中では群を抜いて精通していること、そしてよくよく見たら渋い系のイケメンだったことである。

クラスの女子を格付けし合ったり、意外と情報通である彼から同学年にいる創価学会員の噂を聞いたり、エロ交換ノートを交換することは俺が学校に行く楽しみの内の1つとなっていた。

彼から聞いた女子アナの情報や政治の知識は今はもうほぼ抜け落ちているが、彼から貰ったAVをエナメルバッグの中敷の下に潜ませていたところ、母親にバレたことだけは今でも鮮明に覚えている。

 

 

2009年7月

彼は突然同学年の中で一躍話題の人となった。というのも、俺が彼の変態性をとことんまで掘り下げて周りに広めたからである。

彼は、「ムラムラビーム」という技を身につけたのである。ムラムラビームとは、液体スティックのりを舌に塗りつけながら、ムラムラビーム!と叫び散らす技である。液体のりのネバネバを舌に塗りつけることでエロを表現したものだと考えられる。当時は大笑いしたものだが、今考えたらただの変質者である。これを俺は面白いと思い、とにかく周りの友人の前で披露してもらった。そうしたら、彼が学年で有名になったのである。

彼が学年で有名になったことは、彼からしても俺からしても、メリットよりもデメリットの方が大きかった。学年で目立つということは、ヤンキーに目をつけられることと同義である。彼は当時イキっていたヤンキーグループに目をつけられ、見張り役みたいなのをやらされるようになってしまった。彼と話す回数も徐々に減っていき、俺も同じクラスにあまり面白い話ができる人がいないので退屈になってきたところで夏休みを迎えた。

彼が男子トイレの前にずっと立って見張りをしている姿はそれはそれで面白かったが。

 

 

2010年1月

スキー合宿があった。

2学期から俺はクラスで別の友人たちと絡むようになり、席替えのせいもあってか、彼の存在はすっかり忘れかけていた。持久走大会の後、短い冬休みを挟み、中学1年のビッグイベントであるスキー合宿を迎えた。部屋分けは、出席番号順にしたがって行われた。今思うと、出席番号が近いという偶然がなければ、彼と仲良くなることはなかったように感じられる。

スキー合宿当日。

スキーのコースは初級、中級、上級と分かれており、俺は初級、彼は中級を選択したので、滑っている間は彼と接触することはなかった。俺は違うクラスの、同じ小学校出身の友達に斜面の上から勢いをつけてわざと衝突したり、止まる時にハの字型にするスキー板によって吹き上がる雪をぶつけたりしてインストラクターを困らせていた。

スキーが終わり、夜飯を食べ、木のキーホルダーを作るという訳の分からないイベントがあった。小さい木の切り株のようなものが各人に配られ、そこに何かしらの模様をペイントするだけである。出席番号順で彼の二つ隣の席に座っていた俺は、久しぶりに彼と会話をした。彼はヤンキーグループにいることをよく思っていなかった。早く抜けたいから2年になったら抜けるとか言っていた記憶がある。その方がいいとか適当に相槌を打っていた俺はふと彼のキーホルダーを見ると、こうペイントされているのを認めた。

「Y.S vs I.O」

意味が分からなかった俺は、「これ、どういう意味?」と訊いた。すると彼は、「仙谷由人 vs 小沢一郎って意味だよ」と答えた。仙谷由人は反小沢の代表格で小沢一郎は当時話題の人となっていたので書いたのだそう。俺はやっぱこいつマジで面白いと改めて思い、心の底で尊敬に近い感情を抱くようになっていた。普段は静かだけど実はシュールで面白い人に憧れていた時期があったが、これがきっかけだったのかもしれない。

 

 

2010年4月

中学2年のクラスが発表された。残念ながら、彼とは違うクラスになった。

新しいクラスで新しい居場所を見つけた俺は、3月までよく話していた彼と当たり前のように再び話さなくなった。しかし、静かだけどシュールな人への憧れはまだ散った花火のように燃え続けていた。

 

 

2011年4月

考えもだいぶ大人になっていた。仮に「ムラムラビーム」をこの頃に見せられたとしても、流行ることはなかっただろう。

中学3年のクラスが発表された。俺は再び彼と同じクラスになった。だが、俺は中2のときに仲の良かった人たちとも同じクラスになったため、彼と会話することはあまりなかった。

 

 

2011年7月

中学校最後にして最大のイベント、修学旅行があった。俺はまたしても部屋の班で彼と一緒になった。スキー合宿の時の記憶があったので、楽しみだった。

2泊3日であったが、俺は修学旅行を最大限に楽しみたかったため、全日程で一睡もしたくなかった。そのためには、1日目と2日目で一緒に徹夜する仲間が必要だった。中2から仲が良かった人も部屋の班にいたため、まずそいつらに話を持ちかけたが、1日すら徹夜しようとする人はいなかった。最後の頼みとして、変人の彼に徹夜は得意かと訊いた。得意との答え。

 

「一緒に2日とも寝ずにいよう」

「いいけど、どうせお前が先に寝ちゃうだろ」

 

やっぱりこいつしかいない。

 

1日目の夜、俺と彼と生徒会長で徹夜を試みた。生徒会長は実はクズなやつが多い。まずは眠気を防ぐために話をすることになった。彼はグレーゾーンな話を好んだ。嘘か本当かわからないが、彼の母親は元キャバ嬢で父親はその客だったとか、彼の弟が最近万引きしてそれがバレたとか、誰々が誰々をいじめているだとか、とにかく彼は中3の少年の心を惹きつける話題探しが得意だった。もちろん、女子アナの話もしてくれた。誰々が枕してるだとか、現代の新聞を読み上げるだけのニュース番組の批判だとか、本当に面白かった。あの夜を超える夜は、たとえ極上の女と一夜を共にしても得られることは絶対にない。

ニュース番組の話の流れで、めざましテレビの話になった。聞くところによると、彼はめざましテレビの大ファンで、番組内に出てくる依田司というニュースキャスターが特に好きらしい。Googleで「依田司 ブログ」と検索すると依田司本人のブログより彼のファンブログの方が上に表示されると言っており、当時家に帰って検索したところ本当に一番上に出てきて驚いた覚えがある。また、めざましテレビにやじまる体操というコーナーがあり、その体操の腕前は確実に全国5本の指には入ると豪語していた。その夜、俺と生徒会長とで彼にやじまる体操を教えてもらうことになった。

やじまる体操は思ったよりも難しかった。というよりも、普通ならOKなのだろうが、彼が完璧を求めるがゆえにかなり判定が厳しかったことを覚えている。疲れていて眠い中、更に運動をしたので3人とも4時頃には寝てしまっていた。

行動班は違ったので、2日目の行程を終えて部屋で寝る時刻になると、少し話したくらいで結局寝てしまった。誰一人として2回の夜と朝を連続させることはできなかった。

 

 

2012年3月

卒業式。結局、修学旅行が終わってから彼と話すことは全然なかった。そういえば、修学旅行1日目の夜に彼がこう言っていた記憶がある。

 

「お前とはこういう行事のときにしかもう話すことはないだろうけど、面白いしそういう関係だからいいよ」

 

彼は分かっていた。俺もそれを聞いた時はなんとなく理解はしていたが、自ら言語化できるほどではなかったので、彼の方が思慮深かったのだ。卒業した時にようやく気付いた。

卒業式が終わり、卒業証書が入った筒を片手に同学年の人と校庭で片っ端から記念撮影。ふと校門に目を見やると、彼は無言で自転車に乗って門を出るところだった。彼らしいな、と思った。俺はあえて走って彼に話しかけるようなことはしなかった。遠くて追いつかなかったからというのもあるが、ここは話しかけるべきところではないと感じたからである。

なんやかんや最後まで仲良くしていた友人たちと最後の帰路に着き、どうせまた会えるからと言い聞かして別れを告げた。

 

 

 

 

 

2015年9月

あれから高校に入学して卒業し、無事大学に入学した俺はTwitterで調べ物をしていた。すると、ふと何か一風変わった雰囲気のアカウントを見つけた。ニュースのことやアナウンサーのことについて異常に詳しくつぶやいている。

これはもしや......。

気になった俺はDMを送り、もしかして〇〇?と訊ねた。すると、そうだよww〇〇だよな?との返事が。

やはり長い間話したり会っていなくても雰囲気や文面、ましてやTwitterで見かけただけで分かるものなんだなあと実感した出来事であった。

それにしても、つぶやいている内容的には全く変わってなかったが、文体がwを多用していたりと、当時の彼とはかけ離れているものになっており、そこもまた変わっているなあと思った。

 

DMを送ったアカウントは俺が削除したため、今回の出会いもまた一時的なものとなった。