さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

夏は死の匂いがする

さとえ(@satooooo_e)です。

 

最近、ブログ云々よりも書くこと自体が楽しくなってきている。この前とあるブロガーの方と飲みに行ったが、そういえば彼も書くことは楽しいと言っていた。

自分の書きたいことをひたすらに書くということはまあ恥を晒す行為なのであるが、自分の中の思考や感情を言語化する作業には強大な快楽が伴う。例えば、「好き」という漠然とした感情が心に刻印されたとして、それをいかに詳細に伝えられるか、世界で自分しかしたことのない「好き」の表現法を生み出せるかに挑戦することが楽しい。それに、書きたいことは山ほどある。

ところで、相手に好きなものを単刀直入に尋ねる行為というのはとても失礼だと思う。

 

日本の四季における夏の位置付けについて、夏というものはどうしてこうも誇張されて一人歩きするのだろう。春夏秋冬はどれも等質なはずなのに、夏だけ何故か平成最後の夏だの官僚たちの夏だの最高の夏だの喧伝される。中国において夏王朝は幻だった。

 

考えられる理由として、夏は死の匂いがする。花火は打ち上げられて一瞬で終わり、蝉は土から出て一週間で死に、夏休みは8月31日で終わる。終戦したのは8月15日であった。

梅雨を耐え忍んだ後に向日葵は咲く。我々は春に芽吹いた感情を一夏で咲かせ、散らす。無に等しい秋の長雨の後に、冬には感情が死ぬ。そしてまた雪は溶ける......。

 

そういえば、高2の夏に隅田川花火大会へ行った。スカイツリーのふもとで友人と待ち合わせをし、商業施設ソラマチの3階で花火を観ることになった。一人は寝坊して待ち合わせに来なかった。スマホには遅れるとのLINEが。

3階へ行き、いざ花火を見ようと外に出ると突然の雷雨。それでも花火は抵抗するように打ち上げられるが、ほぼ不発に近いのが数玉続く。ああ、もうこれはダメだなと思っていると花火大会中止のアナウンス。後から知ったことだが、隅田川花火大会が歴代で中止になったのはその時が初らしい。花火は中止で、服は雨でびしょ濡れで腹が立ったのでトイレに行くフリをしてフードコートから水が入った紙コップを大量に持って来て友人めがけて投げつける。しばらく続けているとガチでキレられそうになったのでやめる。ここで寝坊した友人が登場し、花火が終わってから花火大会に来るということにみんなで大爆笑する。

 

それ以来、隅田川の花火大会に行ったのは大学2年の時、当時付き合っていた彼女とであった。

その時は晴天で場所も良かったが、ひたすらに人混みが激しくて暑かった記憶しかない。また、浴衣にこぼしたフランクフルトのケチャップを気にするくらいだったので(浴衣のレンタルは高い)、紙コップの水をかけるということもできず残念だった。

 

ちなみに、以上に出てきた人たちとはもう連絡すらとっていない。水をかけた友人は音信不通になり、寝坊した友人はパチンコと結婚し、もう一人の友人は地方の大学へ進学した。付き合っていた彼女とは別れた。

 

連絡が取れない人たちとの思い出というものは、不思議と夏の思い出が多い気がする。

 

 

気分的に書いてるけどこういう文章書くのあんまり好きじゃねえ.....。