さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

6年間の孤独

Remember when I told you
"No matter where I go
I'll never leave your side
You will never be alone"
Even when we go through changes
Even when we're old
Remember that I told you
I'll find my way back home.......

 

 

「10月に上京するよ」

 

 

MKという友達がいる。

北埼玉のとある郡の小さな町。鉄道も通っていない町で俺たちは生まれ育った。小学校、中学校とどちらも公立で、小学校は全ての学年で1クラスずつしかなく、中学校は3クラスずつあった。だから、この町で育つと必然的に同年代の連中全員と仲良くなる。

 

MKは、小学校の時から恐ろしいほどに悪知恵が働いた。授業中は先生の目を盗んで机の上に立ったり、下半身を露出したりしていた。とは言っても、頭がおかしいとかではなく、単に勇気のある行動ができることを誇りたいからだった。

町は、駅がなく孤立しているため、外部から情報が入って来づらい。しかも、当時2000年代だったので各家庭にようやくPCが1台あるかどうかだった。小学生が操れるのはせいぜいスライドショーくらいだったため、ネットを通じた悪さなどは全く考えつかず、悪さと言ったら昭和のドラマにあるような、典型的なものばかり行っていた。

 

また、MKは手先がものすごく器用だった。多くの小学生が手こずるであろう、家庭科で針の穴に糸を通す作業などはお手の物で、料理が上手かったり、常にカッターナイフを持ち歩いて何かを工作したりしていた。彫刻も上手かった。

 

MKと俺がとりわけ仲良くなったのは、小5の時だった。

当時、クラス内では何グループかに分かれて遊んでいたが、その中に昼休みに校庭でサッカーをしているグループがあった。俺は小5から本格的にサッカーの少年団に入り、そのグループと遊ぶようになった。MKはサッカーをしていなかったが、そのグループ内にいた。

 

MKはグループ内で危ないことをしでかすキャラだった。誰もがやらないことをやりたがり、その行動の面白さを誰もが賞賛していた。俺はMKに憧れた。

MKを真似して俺も奇怪な行動、常人では決してできない勇気のある行動を取ったり、MKを上回るような行動もした。以降、どちらがヤバい行動をできるか常に競い続けた。俺はMKを笑うようになり、MKも俺を笑うようになり、お互い認め合う存在になった。クラスで2トップのヤバい奴らと言われていた。

放課後に校庭で飲みまくった氷結。

カッターで指を豪快に切り裂いて病院送りとなったMK。

万引きしすぎて出禁になった駄菓子屋......

全てが忘れられない。色褪せない思い出。

 

小学校を卒業し中学に入ると、MKと俺は違うクラスになった。中学校3年間で同じクラスになることはなかった。おそらく、公立中学校だったので小学校からこの2人は同じクラスにするなと通達が出ていたのだろう。

 

しかし、MKと俺は中学校の3年間も相変わらず仲が良かった。休み時間はトイレの個室に籠城してマリオカートやモンハンをやったり、友達を胴上げしてわざと落としたり、昼休みには缶蹴りをしたり......。

 

MKは中学でもヤバいキャラで、先生を大きな声で呼び捨てしたり、わざと喧嘩を売ったりと、王道系の笑いをかっさらっていた。

一方で俺はというと、給食センターのおばさんに休み時間なのにも関わらずパンをねだりまくったり、先生が見てない間に変顔をし続けたりと、シュールな笑いに走っていた。それでも2人は仲が良く、常に同じグループ内にいた。

 

放課後は、俺はサッカーのクラブチーム、MKは剣道部と忙しく、あまり会う暇がなく、遊ぶことはあまりなかったように思う。けれど、その頃は常に学校が楽しくて満足していた。

 

俺らは無事に中学校を卒業して、高校に入学した。

MKと俺は別々の高校に進んだ。俺は都心部の高校、MKは地元の高校。

 

高1の時、地元の最寄駅の近くにショッピングモールができた。MKの高校の近くで、中にはゲームセンターが入っていた。当時、MKと俺はjubeatという音ゲーにハマっており、放課後は部活のない日は最寄駅で待ち合わせして、MKと自転車を二人乗りしてゲーセンに行き、一緒に家まで帰るのが日課となっていた。

2人とも高校に友達がいないわけではなく、むしろ多い方だったが、やはり最初の頃は地元の気が知れた友達と遊ぶ方が楽しかった。

 

高2の夏、転機が訪れた。

俺は、家庭の都合で同じ埼玉県内の都心部に近い市に引っ越すこととなった。本当に引っ越したくなかった。地元の10年間付き合ってきた友達と、常に遊べる状態にいられなくなるというのはどれほど悲しいことか想像すると、涙が出た。しかし、引っ越さざるを得なかった。16歳の力では何もできないことを悟った。この頃から両親の関係は不穏になり、俺は家が嫌いになった。いつか必ず一人暮らしすることを決心した。

 

引っ越してからは当たり前のように地元の友達と会えない日々が続いた。俺はそれをできる限り忘れるようにして、勉強に打ち込んだ。高校の友達と遊ぶのもそれはそれで楽しかった。大宮駅の大きなゲーセンでの遊び、都心部特有の振る舞い、県警への煽り、危ない遊び......。

しかし、やはり地元の気の知れた友達との遊びが恋しかった。俺を抜いてみんなで遊んでいると考えると、いつか忘れられて俺は一生孤独で生きていかなければならないのではないか、と思った。

 

高3も同じような感じだった。

俺はひたすら受験勉強に打ち込んだ。地元のLINEグループで、たまに流れてくる遊んでいる写真を目にするたびに俺は仲間はずれにされている感覚に陥った。こいつらが遊んでいる間に、俺は勉強をしていい大学に進学するんだ、とまで思うようになってしまった。今思えば、この思考こそが源泉になって孤独に繋がったのかも知れない。

 

結果的に俺は東京の大学の理工学部に進学し、MKは地元の大学の建築学科に進学した。MKは小学校の時から建築系の職に就きたいと言っていた。何の目標もなく生きていた俺は、正直羨ましいと思った。なんで沢山勉強した俺より、自分の夢に近い位置にいるんだろう?

 

大学では、時間に余裕ができたので、MKと俺は数回遊んだ。地元の友達といるときはやはり社会での振る舞いとか、演技を忘れて素の自分として遊ぶことができた。しかし、一人でいるときは孤独に苛まれ続けた。俺は、たまに地元に顔を出す立ち位置になるのが嫌だった。常にみんなと遊んでいたかった。みんなといるとひねくれた考えを思い浮かぶに済むので、ずっと一緒にいれば正常の頃の自分に戻れる気がしていた。

 

俺は大学の年数を重ねるごとに成果主義的な思考になっていき、人生とは生き急いで進捗を生み続けるものであるという発想になっていった。

友達と話すときもコミュニケーションを円滑に取るためのPDCAサイクルを回したり、人間関係でマルチタスクをこなしたりと、さらに孤独になりがちな性格へと変わっていった。

何事も手段としてしか見れなかった。最終的に大金を手にすれば良いと思った。大金を手にすれば自由な暮らしができるし、地元の友達にも自由な暮らしをさせてあげられるし、ずっと一緒に楽しく過ごせると思った。

 

そのような思考を持って俺は大学生活を送っていた。人生の経験値が増えることは今後生きる上で有利になるという考えから、純粋に楽しいという感情ではなく、損得勘定で様々な種類の遊びを覚えた。しかしそれ自体はあまり楽しいと感じず、遊びというよりかは進捗生産に近かった。

 

そんな中、大学4年の夏、俺はある人物と知り合った。

IRという人だった。IRは東京出身東京育ちだったが、俺の地元の友達に近いような考えを持っていると直感的に感じた。人生において重要なのは遊びと仕事の比重であって、どちらかに偏るというのはつまらなく、バランスが大事であるという考え。

俺はこの考えを数年間忘れていた。感情を失っていたのだ。しかしIRに出会ったことによって、徐々に昔のような楽しさを思い出した。一緒にアメ横で飯を食べ歩いたり、純粋に音楽を楽しみに渋谷のクラブに行ったり、代々木公園で価値観を語り合ったり。

東京版の地元だった。しかも、地元より東京の方が遊べる場所があるので、ここに地元の友達を連れてきて常に一緒に遊ぶようになったらどれだけ楽しいだろうか、と思った。

進捗を生産するのも良いが、自分が本来持っている感情に従って遊ぶのも大事。この考えをIRが思い出させてくれた。彼とは今でもものすごく仲が良い。感謝してもしきれない。

 

重要な思考を取り戻しつつ、俺は大学を卒業し、社会人になった。

社会人になって、俺は念願の東京での一人暮らしを手にした。これで好きなように生きていけると思った。家庭の都合とか関係ない。

 

社会人も孤独との戦いだった。求められる振る舞いに徹し、素の自分をしまい続ける。何が楽しいのか分からないが、生きていくためには必ずしなくてはならない。

俺は、これこそが遊び:仕事の仕事の部分なのだと割り切れるようになった。進捗生産的な思考で、それはそれで人生において大切な部分なのだから仕方がない。

 

遊びは、仕事帰りの夜と土日の少々でよかった。IRと俺は互いに遊び:仕事の遊びの時間を費やした。IRは俺より1つ年代が下なので、まだ大学生である。IRは大学の人とは話が合わないと言っていた。やはり、自分の進路のレール上で出会う人間と素の状態で仲良くなることは不可能である。外の出会いこそが、人生を豊かにする。

 

そんな中、2019年7月。つい最近の出来事である。

俺のスマホに一本のLINEが入った。

 

「10月に上京するよ」

 

MKからだった。

MKは大学を留年し、半年遅れで卒業することになっていた。そして就職先が決まり、職場が東京で、10月に東京に引っ越してくるとのことだった。俺が東京で一人暮らししていることを知ったMKは、俺に連絡した。

 

MKが上京することを知った俺は、大きく歓喜するとともに、深い感慨、安堵に襲われた。10月まで生きる希望が持てた。

ようやく孤独から解放されるんだ。ようやく感情を完全に取り戻せる。田舎すぎて家の農家を継ぐか、鳶職になるかしか選択肢がない場所からようやく上京してくるんだ。遅すぎる。俺だけ何年孤独でやってきたと思ってるんだ。笑わせんな馬鹿野郎。

高2夏から今までの6年間は何だったんだ。俺は昔のように笑いたかった。本当に、ひたすら孤独で進捗と向き合う日々を耐え抜いてきた。ようやく報われた。

全てを捨てて地元に帰りたい、何度もそう思うことがあった。その思いさえ捨てて俺はひたすら孤独な夜を耐え抜いてきた。

 

6年間という歳月は、あまりにも永かった。

 

MKが上京してきたら、IRと共に東京の遊びを教え込み、東京版地元を作るつもりだ。

普段は仕事をして進捗に勤しみ、遊びの時は本当に気が知れた友人と童心に帰って東京で暴れ狂う。これこそが人生である。