さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

新宿

さとえ(@satooooo_e)です。

 

西口には高層ビル群、東口には飲み屋、歌舞伎町、南口にはサザンテラス、高速バスターミナル。

 

JR、京王線東京メトロと様々な路線が入り組み、世界最高の乗降客数を誇る。東西線は新宿に降ろしてくれない。

 

午後10時。JRの南口改札を抜けると名も知らないバンドが演奏している。待ち合わせ時間は10時30分だったので、東口方面に進み、手すりに体を預けながら下を見下ろす。この時間に帰るなんて社会人は大変そうだなあ。俺はまだ大学2年生である。ゆえに、このように無限に夜でも外出することができる。

 

ところで、今日は息を吐くと白い。

 

新宿は乗り換えで毎日通っているが、降りたことはあまりなかった。馴染みの場所はかえって行くことのないものである。

 

NEWoMan、バスタ新宿。広島行、出雲大社行、安曇野・飯田行。ここからはバス一本で日本のあちこちへ行くことができる。世界は案外狭い。

 

東南口前。長い階段を降りると広場。春には、ここに数本の桜が咲く。歌舞伎町より意外とここやサザンテラスの方がナンパがしやすいことはあまり知られていない。ムラサキスポーツ方面に狭い道があるが、そこはスカウト通りであることもあまり知られていない。

 

lushやパチンコ屋がある通りを抜けると、東口に辿り着く。駅に隣接するビルの上階にある高級飲食店に一回足を運んだことがあるが、店内には川が流れ、橋が架かっていた。

 

しばらく真っ直ぐ歩くと、東口ロータリーに出る。帰宅する社会人や、キャリーケースを引く外人で溢れている。人通りが激しい。スタバの桜ラテを腰掛けに座りながら飲んだ記憶。

 

10時15分。ゴーゴーカレー、ファミリマートを横目に過ぎ去り、横断歩道を渡り、大遊戯場歌舞伎町の入り口に着く。ドンキ前。色々な駆け引きが行われるであろうアポイントメントの待ち合わせをしている連中が数多。バッグに物が雑に入っている子は引っかかりやすいと聞いたことがあるので、声をかけるも、俺の存在なんて初めから無かったかのようにガンシカされる。イヤホンをしていたことはたぶん言い訳にはならない。

 

そういえば、歌舞伎町で何度かホストの体験入店をしたことがある。夢がある世界に憧れがあった。 だが、実態は酷かった。大して面白くもない男が、現実で男に相手にされない女や、承認欲求のバケツが無限に深い風俗嬢に枕をして貢がせて金で成り上がっているだけであった。そこには、将来の二文字は存在し得なかった。今さえ楽しければそれでいい。今さえ輝いていれば残りの人生どうでもいい。

人気ホストが稼いだ金の大半は結局浪費に消えた。経済を回しているものは目に見えない欲である。

 

10時20分。女から歌舞伎町のHUB前にいろとのLINE。りょーかい。

 

LINEで最も多く送信されている単語は了解かありがとうのどちらかであろう。

 

10時30分。女が来ない。

悲しいことに、ドタキャンには慣れてしまっていた。女は、概して男と比較するとドタキャン率が著しく高い。何が好きで何が愛なのかすら分からない。冬。ノルウェイの森にこんな感じの登場人物出て来なかったっけ。この先連絡があってももう面倒だから帰ろう。LINEブロック。

 

10時40分。何者かが肩をぶつけてきた。ホストだった。ホストはグレーのフードをアンニュイに被り、金髪を隠したまま足早に去ろうとした。俺はその細身の後ろ姿に腹を立てた。肩をぶつけてきたことよりも、歌舞伎町の頂点を思わせるスラっとした細身がムカついた。俺はすぐに追いかけてホストの胸ぐらを掴んだ。

 

「てめえ、さっき肩ぶつけてきただろ」

 

「ちょっといきなりなんだよ」

 

「謝れよ」

 

「新宿じゃ別に普通だろ」

 

「知らねえ。いいから謝れ」

 

「お前SNSで一々つっかかってくるタイプだろ」

 

SNSなんて全て終わっちまえばいいんだよ。サービスを終了させろ」

 

「なくなったらなくなったらで困る癖に」

 

「うるせえ。LINEもTwitterInstagramfacebooktiktokも全てくだらねえ。自由が増えるとかえって不自由になり、本質を見失うんだよ。束縛された状態での自由しか本当の自由とは言えない」

 

「分かったから、その手放せよ」

 

「放したらお前をぶん殴りそうな気がする。それに、新宿じゃ別に普通だろ。理屈じゃねえ」

 

「お前がなに新宿語ってんだよ」

 

気付けば、小雨が降り出していた。

俺は新潟に行った時の事を思い出した。新潟は晴れの日に比べて、圧倒的に雨や曇りの日が多い。新潟での5日間は、東京と比べて本質的であった。東京が非本質であるが故に一層際立った。涼しくて、安く美味い飯が食えて、女の子は綺麗で。汚らわしい東京砂漠の逃げ水は、追う必要すらなかった。

 

「そういえば、今日は何日だ」

 

「12月23日だよ」

 

平成最後の雪。平成最後の雨。そして過ぎ去った平成最後の夏。1945年8月15日、三島由紀夫が味わった終戦の日光はこんな感じだったのだろうか。戦争が終わっても、太陽は何一つ変わることなく日本に日光を降り注いでいた。

 

平成が終わっても、何も変わることはない。事物として存在しないものが変化しようと、普遍的なものは一切関係ない。平成が終わっても1日は24時間であるし、太陽は東から昇り、西に沈むし、20歳になったら相応の責任が求められる。1998年度生まれは漏れなく平成が終わるまでに20歳を迎える。

 

「そういえばお前今何歳だよ」

 

「19ですけど」

 

「何年式?」

 

「98年度の99年式」

 

俺はこいつを赦すことにした。