信じたいものが一番怪しくて
さとえ(@satoe_chan_)です。
今日から遠出するからブログ書けなくて限界。
せめてもの悪あがきとしてこのブログを更新しようと思う。遺書がわり。
俺は昼間の暑苦しい喧騒にまみれた大都会東京よりも、夜の静寂が響き渡った涼しげな空き地東京の方が好きで、周りにもそういう友達が多い。一年前の夏に深夜を渡り歩いて六本木の松屋で食った牛丼の味は一生忘れないだろう。深夜×東京×松屋=神。
東京では誰かが誰かを愛し、愛された人はまた別の人を愛している。愛の又貸しである。夜の電車内には悲しげな顔でリクスーを着た就活生、今から水商売に出勤すると思われる金髪の整形顔の女、仕事帰りでくたびれた顔を俯けたサラリーマンがいる。じゃあ、自分は如何か?
無論、俺もその中の一部である。結局人は何者にもなれない。人はいずれは死ぬ。
しかし何故に東京にはこんなにも多くの人が存在しているのに、その大半とは人生が交差することがないのだろうか?東京は本質的に冷たい。ベンジーにグレッチで殴られたい女でも池袋から終電で帰る。山手線には終点がない。溜池山王の8番出口にはもう用はない。スクランブル交差点では今この瞬間も沢山の人がすれ違っている。
俺は今から東京を抜け出す。これは一種の駆け落ちである。東京で駆け落ちはできない。しかし、今日の夜空はいつに増して明るい。
さようなら。
山手線より愛を込めて
PS:タイトルの歌詞にピンときたら渋谷道玄坂まで来てください。