ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』から見る現代社会
さとえ(@satoe_chan_)です。
『車輪の下』とは、ドイツ生まれの作家ヘルマン・ヘッセが1905年に発表した長編小説である。と同時に、俺が人生で読んだ中で一番好きな小説でもある。
高2の夏休み、俺は地元の図書館で勉強をしていた。昼飯を食べに近くのショッピングモールまで行き(いつもここで昼飯を食べていた)、ついでに本屋に寄った。すると、新潮文庫夏の100冊という名目で100冊前後の新旧の文庫が並べられており、俺はその中に『車輪の下』という小説を発見した。あらすじは知らなかったものの、なるほどタイトルからして意味不明だ、読んでみようと思い、すぐさま購入して昼飯を食べ、図書館に戻った。少しだけ読んでから勉強に戻ろうと考えていたが、本から顔を上げた俺が次に見た光景はオレンジ色の夕焼けだった……。
『車輪の下』は、ハンスという勉学において天才的な才能を持った少年が主人公の物語である。ひたむきな田舎生まれの自然児であるだけに傷つきやすいハンスは、周囲の人々の期待に応えようとひたすら勉強に打ち込み、エリート養成学校である神学校に2位の成績で合格する。そこでの生活は少年の心理を踏みにじる規則ずくめなもので、勉学一筋に生きてきた自らの生き方に疑問を感じる。
少年らしい反抗に駆り立てられた彼は、学校を去って見習い工として出直そうとする……。
実は、この小説は著者であるヘルマン・ヘッセの自伝的小説であると言われている。ヘッセは少年時代の神学校在学時に、「詩人になれないのなら何にもなりたくない」と悩み、不眠症とノイローゼを患うようになった。その結果、神学校を退学、精神療養を経て一般の高校へ転校する。その後もどうすれば詩人になれるのかを悩み続け、再び高校を退学。本屋の見習いとなるも、3日でやめ、消息を絶ってしまう。のちに彼は第一次世界大戦を経て、ノーベル文学賞を受賞する。
ヘッセの小説の特徴は、何と言ってもその文章の甘美さである。
一度文を読むと、のどかな田園風景やその隙にちらつくひそかなダークサイドが眼前に浮かぶ。山々に囲まれた湖に浮かぶボートや甘い香りと、夜の川、井戸端会議、噂話のことである。彼以上にふるさとや田舎を明瞭に言語化して描いた作家は見たことがない。田舎出身の俺は彼の作品を読むと自分と重なるところがあり、毎回郷愁を感じずにはいられない。
また、風景だけでなく少年期特有の甘い思い出を描くのも上手い。小学生が犯しがちな小さな犯罪や、当時は大きかったが今思えば些細な恋愛の描写が心にしみる。
俺は『車輪の下』を読んで、昔に比べて今は文明的にものすごく発達しているが、社会構造のテンプレートや人間の精神構造は変化していないものだと考えた。
この小説で特筆すべきは、発表されたのが1905年ということである。今からおよそ110年も前の小説であるのに、題材は現代においても古臭く感じない、むしろよくあるものであるといった点である。1905年から110年遡ると1795年、江戸時代まで行き着くというのに…。
勉学において天才的な才能を持って生まれてきた少年が周囲の期待に必死に応えようとし、勉強に打ち込んでいるうちに自分が本当にやりたかったことを見失い、生き方に疑問を感じたり自暴自棄に陥るという現象は現代においてもよく見られる。
勉学だけでなく、他の分野においても何か才能を持って生まれた人間は(本人がその才能に気づいている場合)、自分が本来やりたいこととその分野が一致してない限り、人生のどこかで生き方に疑問を抱くのだと思う。
※以下ネタバレ含みます。
この小説の主人公は学校を去って見習い工になった後、挫折感と劣等感からしばらく自堕落な生活を続けるが、最後は慣れない酒を飲んだ後川に落ちて死んでしまう。
自堕落な生活は現代における大学生の生活によく見られる。もっというと高学歴であればあるほど自暴自棄に陥っているように思う。大学の授業を極限までサボったり、ひたすら酒を飲んだり。
これは蛙が井の中を脱出し、自分より上の能力を持つ人間を何人も見ることによる劣等感によって起こるのだ。
退廃的生活は、一種の自傷行為である。自分を痛めつけ、快感を味わう行為はなるほど気持ちがいい。しかし、いくら自堕落な生活を送っても最後の選択は更生か自殺に絞られる。堕落した大学生は必ず就職するかニートまたはフリーターになる。
現代の日本において、周囲からの期待というものは人間を十分に苦しめる要因になりうる。身の周りで、小学校の時ガリ勉だった人が大人になると社会不適合者になっていたり、ヤンキーだった人は案外良い父親になっていたりしないだろうか?
期待というものはそれだけ重荷になるのである。期待には応えようとする人間が普通だから。
この小説のタイトルである『車輪の下』、この意味を最初に手に取った時は推測することすらできなかったが、読み終えるとスッと腑に落ちたのを覚えている。期待とは必ずしもプラスに働くものではなく、時に人を潰してしまう車輪のようなものなのである。才能を持って生まれてしまうということは、それなりにリスクでもある。
高2の夏、この本を読み終えた時、俺はおそらく次のようなことを考えたと思う。
「ハンスは周囲の期待に押しつぶされたけど、俺は精神が強いからたとえ周囲から期待されようとも彼のようにはならないだろう」
だが、結局人が押しつぶされてしまうのは本人の精神に問題があるのではなく、無意識裡に期待を押し付けてしまう社会に問題がある。実際に俺もハンスほどではないが、押しつぶされた経験をしてしまった。
まだ社会人になっていないので社会に出てからもそのようなことが起こるのか分からないが、きっと社会というものは汚くて残酷なものなのであろう。
ふるさとでの思い出や古い友人というものは一生心の中に生きているもので、そんな社会を生きていく上で心の支えとなる。この物語も、ヘッセの小説群も同じである。宗教の信者のように強制的に心の拠り所を作り、それを信仰する。ヘッセすらも思い出なのである。
- 作者: ヘルマンヘッセ,Hermann Hesse,高橋健二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1951/12/04
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 464回
- この商品を含むブログ (158件) を見る