さとえブログ

ノンフィクション/エモい/現代っ子哲学

思い出

 

一見、個々の人生を見渡してみると、徹底して幸福なものや徹底して不幸なもの、はたまた幸不幸が交互に訪れるものなどがあり、多種多様のように思える。幸福に満ちたものだけが良いかというと決してそうではない。世に生を受けた瞬間、もしかすると宇宙が誕生した瞬間からあらかじめ決められた内的な運命によって、様々な出来事が交錯する唯一つの収束点として、外的に相互作用を及ぼしながら人というものは存在する。人は運命に逆らうことはできない。ただただ、敷かれたレールの上を歩いていくのであり、脱線と思われる出来事も実は定められたものなのである。特有の人生において幸か不幸かは関係ない。過程と結末は変えようがなく体験を以って楽しむドラマなのだから。

 

しかしながら、人生には一定量、高質な辛酸を舐めた者のみが理解しうる哲学も存在する。彼らもまた、予定された存在であり、そうでない者との調和なのである。均一よりも不均一、均された公道よりも傾斜した山道の方が、趣があるのは確かであり、私が原稿を書くのは誰のためでもなく、彼らと類似した点としての私を描くためである。それを語ろうとするとき、特に外せない事象が存在するのは揺るぎない事実であり、あの懐かしい出来事たちを思い出さざるを得ないのである。

 

私はとある小さな町に生まれた。そこは昔から農業が盛んであり、家の周りを見渡すと一面に田畑が広がっていた。少し歩いたところには公園があり、その中にある小さな湖には一年中ボートが浮かんでいた。また、内陸部であり、どこの場所からも絶えず一つの山を見上げることができた。山は秋頃から冬にかけて雪を帯び、白銀に色づき、春が近づくと徐々に新緑を露呈し始めるのだった。その山は町の人からはアルプスと呼ばれていた。

 

私の家は幸いにも平均的な収入の家庭だったので、難なく幼稚園、小学校、中学校、高校と進むことができた。私は不真面目な生徒ではなかったが、御世辞にも真面目ということはできなかった。仲の良い友達と一緒のときは共にはしゃぎ、ときには悪人がしでかすようなこともして楽しんだ。小学生時代では、休み時間に学校の屋根の上で駆け回ったり、物を落とすのを楽しんだりした。休暇では都会に出て、何車線もある道路の横断歩道が掛かっていない箇所を渡ったりもした。一方、教室の中や、教師と話すときの私は別人であった。おそらく中学にあがった頃くらいからだと思われるが、いつからか、気づけば寡黙を装うようになり、真面目な生徒を演じていた。試験では必ず学年で五本の指に入る成績を叩き出していたからか、友達以外に真面目さを疑う人はいなかった。

 

高校三年生の夏頃あたりから私は数学に興味を持ち始めた。それは、とりわけ数学の成績が良かったからだけではなく、神が創造した自然の法則、因果律を読み解くのが楽しかったからである。宇宙が始まり、神は無から生まれると同時に大急ぎで自然を創造した。まだ人類が誕生する前の話であるから、人智を超越していることは当然である。その後、予定調和的な存在として神は人類をして地上に降り立たせしめた。数学は、神の偉業が人間にも理解できるように表現されたものであり、それを考えている間は哲学的でもあった。

 

前日に徹夜をしただかの理由で、いつかの数学の授業で不覚にも微睡んでしまったときがあった。厳格で意地の悪い教師は、難問だと思われた問いに対しわざと私を指名した。私はそれを意に介さず安安と黒板に解を書きつけてみせた。教師はますます不満げになったようだった。席に戻ると、隣に座っていた女子から賞賛の言葉をかけられた。

 

「寝てたのにすぐ理解して解けるなんてすごい。私にはできないよ」

「昔から要領だけはいいんだ」

「なら今度、勉強教えてくれない?」

 

彼女とはプライベートでは会ったことはなく、席が隣であるから毎日世間話をする程度の関係である。元々、席順は担任が勝手に決めるので隣同士になったことは完全に運の仕業によるものであるが、彼女のことを意識していないというのならば、それは嘘になった。茶を帯びた黒色の長めの髪、痩せても太ってもいない程よい体つき、愛想が良く整った顔、小鳥のさえずりのように甘い声は、うぶな少年の関心を向けさせるには十分であった。私は特に断る理由も見つからなかったので、誘いを承諾した。

 

週末に予定を合わせ、私は地図を頼りにして彼女の家に着くことができた。初夏であったので日差しがアスファルトを照りつけ、一面に乱反射していた。近くの公園の木々にとまっている蝉たちは例のごとく合唱隊と化していた。私の額からは汗が滲み出るばかりであった。インターホンを鳴らすと、彼女が出迎えた。玄関を抜け、靴を脱ぎ、部屋へと案内された。特に目立った装飾もなくシンプルで上品な部屋の中央には白いテーブルがあり、傍に座るように促された。彼女は一旦部屋を出て、飲み物とお菓子を持ちながら再びやってきて、それらをテーブルの上に置くと対面に座った。私は失礼にならないように少し飲み、お菓子をつまんだ。

 

「とりあえずそれぞれで勉強して、分からないところがあったら聞く形で」

 

彼女は同意し、各々で作業を開始した。学校から課された課題に二人は取り組んでいたが、正直なところ、私は全くやる気が出なかった。家にたどり着くまでに疲れてしまっていたというのもあるが、この清潔な空間で何かに集中して取り組めるはずがなかった。実際、休日の彼女は普段にも増して輝いているように見えた。内側から溢れ出る欲望に対して必死に抵抗するのには無理があった。

 

「どこか分からない所ある?」

「まだ特にないかな」

「嘘だね。絶対あるに決まってる」

「え、急にどうしたの」

 

私は彼女の側に徐々に近づき、ゆっくりと手を取った。何も抵抗を感じなかったので肩に手を置いた。顔を近づけた。まだ数十センチ離れているところで試みは儚く散った。強く振りほどかれたのだった。

 

「やめて。そんなにせこいことしかできないの?」

 

彼女は強く言い放った。辛辣な言葉を今まで面と向かって言われる機会が少なかった私は、その言葉を真に受け消沈した。しかし、私は心が段々と人知を超越した何物かによって駆り立てられていくのを感じた。思い返せば、数学を理解したいと思った時に感じていた好奇心と似ていた。だが、それは数式では表現しきれず、数学よりもいっそう哲学的であった。

 

「夏休みに一緒にアルプスに登ろう」

 

意識的に言ったつもりはなかったが、知らぬ間に口から言葉が出てきてしまっていた。宇宙の因果を支配する神の仕業であり、これもシナリオ通りであろうことを私は感じた。

 

「私を登らせてくれることができなかったら、もうあなたのその情けない顔を二度と見たくはない」

「それは結構だけど、登れたら報酬はきちんと頂戴するよ」

 

取り決めには成功したものの、内心では不安や迷いが生じていた。その日の帰り道、哀愁的な余韻に浸るために近くの公園で道草を食べた。日が暮れており、感覚でしか分からなかったが、公園はいくぶんか湿っていた。どうやら彼女の家にいる間に小雨が降っていたようだった。私は一人でベンチに腰を下ろすと、蝉が地面に転がっているのを認めた。軽くつまさきでつついてみせると蝉はかろうじて鳴き声をあげ、羽をばたつかせた。

 

それからというものの、山登りによって今まで積み上げてきたものの根底に存在するものがなくなり、上部が一気に崩れていくような予感を抱えたまま夏休みを過ごしていた。失敗を夢想することもしばしばあったが、音楽や読書に逃避した。この頃から、私は哲学にも興味を示すようになった。哲学者の思想が書かれている書物を読みふけっていると、自分と同じ考えを持つ人物が稀に現れることが心の支えになった。

 

当日に至るまでの体感時間はそれほど長くなかった。早起きをして、ゆっくりと身支度を整えると急いで彼女を迎えに行った。彼女は相変わらず美しく、年に似つかわしくない色気があった。山の麓までの道は終始無言であった。小さな通りを抜け、田畑の連続を横目に私は彼女より半歩前を進んだ。途中、何か言いたげな、内気な足取りになったことに直感的に気づいたが、詮索はしなかった。

 

つづら折りになっている山を登り始めると、意外にも事は早く進んだ。私は彼女の手を取り、緑に生い茂った山道を歩いた。途中、渡らなくては山頂へ行き着くことのできない、空中に口を大きく開いた溝があった。私は身を乗り出しながら飛び跳ね、先に渡った。彼女は躊躇していた。私は手を差し伸べた。それを掴んだ彼女は思い切って飛び跳ねたので、私はすぐさま抱き寄せ身体を密着させた。

 

山を登りきり半円形に開かれている頂上に着き、私たちは眼下に横たわる町を一望した。夏の昼過ぎであった。溢れんばかりの日光が家々の屋根に入射し、乱反射によってそれらは白く輝いていた。普段通っている学校を確認することもできたが、慣れている感覚とは違い、あまりにも小さく見えた。二人の息が落ち着いてきたところで私は彼女を向かい合わせ、そっと唇を重ねた。

 

帰り道、彼女と別れた後に私は夜の川へ行き、疲れ果てるまで泳いだ。水に浸かっている間、今日の出来事は全て神が私に与えたほんのわずかな慈悲である、という考えがずっと頭の中を巡っていた。家に帰ると、すぐにシャワーを浴びてぐっすりと眠った。そこに哲学が入り込む余地はなかった。

 

それから、私は例のように真面目で従順な生徒として振る舞い続けた。町には北風が吹き始め、アルプスは雪化粧を始める頃、私は進路に迷っていた。というのも、詩人になりたいという感情が急に生まれ始めたからである。過去の文学者や哲学者の作品群を読み、その中に自分と同じ思想を見出したり、自分が過去に考えた事のある思想が突如として作品に現れるのを発見したりしたときは、自分の哲学を余さず明確に表現するには詩人になることしかあり得えないと感じたし、そうとしか考えられなかった。案の定、両親は猛反対し大学へ進学することを強く勧めた。確かに、詩人にとことん成りきるのはあまりにも危険だった。大学へ行きながら書き続けることも考えたが、やはり詩に専念したいという気持ちは強かった。しかし、真面目な男は反抗することができなかった。結局、目的も曖昧な大学進学を最終地点に定め、やりたくもないことも少なからずは含まれている、勉強に勤しむのであった。気の迷いもあったからか、昔から成績が良かった数学以外はてんで駄目だった。普段から考えてもいなかったので不慣れだった。

 

受験日の前日、私は先生に感謝を述べ、教会にお祈りに行った後、列車に乗って親戚の家に向かった。大学の近くにある家に泊めてもらう予定だった。結局、受験勉強を始めてみると、他の科目でも良い成績が取れ始め、最後の模擬試験では上等な結果だったために、私は国内でも優秀な大学を受験させられることになった。地元の町からは五、六年に一人行く人が出るか出ないか、という水準の大学だったので両親や近所、牧師からの期待は相応に感じられた。列車の窓の外を眺めていると、自分の家が段々と小さくなっていき、田畑以外何もないような場所を通り、銀色のアルプスが大きくなってきた。例の一件以来、彼女とは全く口をきかなくなってしまったが、それは必然のように思えたし、絶縁とまではいかないと感じた。私が都会の大学へ行き、また夏休みに帰ってくることができる故郷を用意してくれているかのように、包んでいてくれているようだった。他の思い出もたくさんあったが、それらを追想しているうちに深い眠りについてしまった。

 

ちょうど駅に着くと、私は重い瞼を持ち上げて列車を降り、確かめるような足取りで改札を出た。目の前には真っ先に都会の喧騒が飛び込んできた。街ゆく数多の人々の足は早く、自分自身で目的を持たずにただひたすら回っている機械の歯車のような印象を受けた。私はロータリーで列をなしている人の群れに紛れ込み、親戚の家のそばまで走る大きなこげ茶色のバスに乗り込んだ。目的地まではそう遠くなく、瞑想にふける暇はなかった。

 

家に着くと、訪問を待っていたかのように親戚がドアを開け、中に招いてくれた。母親の姉といった、割と近い間柄であったので私は如才なくくつろいだ。

 

「よく来てくれたね、ゆっくりするといいよ」

「ありがとうございます。これから明日の準備をしたいのですが」

「それもそうだね」

 

そういうと彼女は小さく、整った部屋に私を案内した。誰も使わずに放置されていたと思われる部屋で、一人で過ごすには最適であると感じた。そこでしばらく英語と古典の復習をした。数学に関しては人以上にできる自信があったのでやる必要を感じなかった。

 

見返していると日が暮れ始め、寒さが一段と増した。ドアの向こうから私を呼ぶ声がした。リビングに入ると、食卓の上には豪華な食事と酒が用意されていた。

 

「気がすむまで食べていいよ。けれどお腹を壊さないようにほどほどにね」

「ありがとうございます」

 

私は前菜からメインへとバランス良く食べた。彼女の言う通り、体調を崩すのも癪であったので少量の酒を嗜んだところでテーブルを離れた。父親譲りからか、酒は強い方であったので酔いはせず、微妙に眠くなっただけだった。私は風呂を済ました後、会場までの道順を繰り返し確認し眠りについた。

 

朝の目覚めは清らかだった。食卓へ行くと、既にパンと牛乳が用意されていた。時間には余裕があったので、ゆっくりとそれらを食べ終えると荷物を鞄に詰め込み、コートを羽織り、家を出た。都会の朝の冬の空気は肌に刺さった。頭の中にまで冷気が押し寄せ、凍えてしまうのではないかと思ったが、心の片隅には自信があった。バスに乗り、受験会場に着くと、そこは祭りのように賑やかであった。恩師に見送られる生徒もいれば、友人同士で士気を高めあっている生徒たちもいた。一瞬、その異様な雰囲気に気圧されかけたが自信が相殺してくれた。

 

教室に入り指定された席につくと、外とは打って変わって暖かいことに気がついた。コートを着ていると流石に暑かったので脱ぎ、足元に置いた鞄の上に乗せた。しばらく精神を研ぎ澄ましていると、厳かな試験官たちが教室に入ってきて静粛にするよう求めた。教室が静寂に包まれると、ある試験官は問題を配り始め、ある試験官は受験生の顔の照合を開始した。全ての作業が終了したかと思うと、間が空いた後にチャイムが鳴り響き、最初の科目である英語の試験開始を告げた。

 

問題冊子を開くと、解いたことのある文法問題や覚えている単語で構成された長文問題が目に入ってきた。このとき、今までやってきたことは間違ってなかったのだと確信した。培ってきた努力を頼りに問題を解くと、時間がかなり余ったので幾度となく見直しをした。英作文の問題でどうしても英訳できない箇所が一つあったが、それ以外は全てできたように感じられた。今までで一番の手応えだった。

 

続いての理科、国語も上出来で、合格をほぼ確信した。残すは最も得意である数学のみとなった。私は問題冊子が配られている間、これが終われば全てから解放され、大学の重荷はあるものの、改めて自分の好きなように生きていけるのだということばかり考えていた。開始のチャイムが鳴り響くと、私は勇ましく冊子を開いた。しかし、問題群は周到な武器を揃えてかかる戦士を屈服させるのに十分であった。そこには初見の問題や、見たことはあるが高次元に改変されている問題が並んでいた。難しく見えたのはおそらく、問題自体の難易度だけではなく、傲慢さや安心感からくる油断のせいだったようにも思えた。最悪の事態は免れようと思い、定石で太刀打ち可能な小問をようやく埋め終わったところでいつのまにか試験は終了していた。

 

意気消沈しながら家に戻ると、親戚は雰囲気から察してくれたようで、終わったのだからゆっくり休みなさいと声をかけてくれた。私は部屋に入るとすぐさま横になり、眠ってしまった。目を覚ますと午前四時であった。辺りはまだ暗く、窓から見える人通りもまばらだった。しばらく眺めていると、ふと散歩をしたくなったのでコートを羽織り、靴を履き外へ出た。早朝の都会の冬は幻想的であった。騒がしく汚い昼とは違って、静寂で閑散としており清潔であった。普段は人間に支配されることのない自然や世間もこの時間帯になると人間と調和し、一体になりたがっているように思えた。哲学を肌で直感することは試験の結果よりも深いところまで心を撫でてくれたし、憂鬱な雲の隙間から日光が漏れかかったような気がして嬉しかった。

 

被支配的な都会をだいたい散策した後、日が昇り始め、空腹に襲われたので家に帰った。私は朝食を作る親戚の後ろ姿を認めた。

 

「少し散歩に行っていました」

「昨日はすぐに寝ちゃったみたいだから気分転換にいいじゃない。それに、あなたの両親から聞いているけど、詩人を目指そうとするなら見切り発車な行動の一つや二つはしないといけないわ。あら失礼。両親は反対しているのだったわね」

「あなたはどうお考えなのですか」

「自分の好きな道を選べばいいと思うし、それにつけて他人がとやかくいう権利はないと思うわ。成功しても失敗しても自分の責任なんだから」

 

彼女から思いがけない言葉をいただき、私は更に勇気づいた。何をしても自分でしたことなのだから、詩人を志そうが志さまいが、決定権は自分の中に存在するのだということにようやく気付いた。もし大学に進学することができても、大学をおろそかにしてまで作品を書き続けるという未来も十分に可能なのだ。

 

私は朝食をこしらえ、荷物をまとめ、親戚に感謝と別れを告げると、帰りの列車が出発する時間に合うように家を出た。駅に着くと、列車がちょうど来ていたので慌てて改札を抜け、ホームに飛び出し、乗り込んだ。幸運なことに車内は空いていたので、窓際の席を選び、腰を下ろした。発車のベルがホームに鳴り響くと列車はゆっくりと動き出した。思えば、ここで得た収穫は大きかった。試験の結果は不本意に終わるかもしれなかったが、原動力を失う代わりに羅針盤を手に入れたような気分になっていた。

 

時間が経つと列車は県境を越え、地元に近づいてきていた。いつものアルプスが見え始め、町全体は堂々と自分を受け入れてくれているかのようであった。自然と目から涙が溢れ始め、堪えるのに躍起になった。自分の故郷はやはりここしかなかったのだ。アルプスを登ったときの記憶が段々と蘇ってき始め、最終的に泣かざるを得なかった。

 

列車を降りると、日常的に嗅いだことのある、懐かしくも思える果実的な匂いが鼻に伝わってきた。私は、不安と決心、感動を抱えたまま歴とした帰路に着いた。家のドアを開けると、いつものように犬が体当たりをもって出迎えてくれた。その日の晩まで私は一人で部屋にいることを許されたが、辛抱できなくなった両親は夕食をこしらえた後、私がリビングで休んでいると、遂に試験のことについて根掘り葉掘り聞き出した。私はありのままの決意、親戚に感化されたこと、万が一に大学に進学したとしても詩人を目指すことに変わりはないことを告げた。両親は終始しかめ面をしていたが、私の何者も曲げることを許されない強固な意志を汲み取ったらしく、そんなに流れに逆らって自らを不幸にしたいというのなら勝手にしなさい、と言った。

 

合否の通知が届くまでは、学校にも行かずに近くの川に出向いて釣りをして時間を潰した。人間は水中の魚の感情や感覚を知る由もない。彼らは水の中で幸せなのか不幸せなのかすらも分からない。また、少なくとも水のない陸地での人間の幸不幸を彼らは知らない。それが神の創造した自然の摂理であり、魚に与えられた運命なのである。

 

冬の寒さも和らぎ、早春が呼吸を始める頃、家に一通の通知が届いた。私は部屋で昼過ぎまで寝ていたが、何やら騒々しい物音のせいで目覚めてしまった。寝ぼけた顏でリビングへ行くと、家族が祝福をもって私を迎えてくれた。私はどうやら合格したらしかった。

 

「おめでとう。これからはお前の好きにするといい」

 

両親は、あの日話していたことはあまり気に留めていないようだった。私がただ大学に通い、卒業する。それさえ成し遂げれば、それ以外のことの決定権は私に委託されていた。後日、手続きを終え、更に大学から通知が来た。出願したときに申し込んだ席次開示であった。封筒の糊を剥がし、中を見て、私は困惑した。果たして自分は本当にこの大学へと進学して良いのだろうか、うまくやっていけるのだろうか、親から課せられた卒業するという課題を終わらせることができるのだろうか、様々な負の不安が頭を逡巡した。なぜなら、千人中千番、つまり合格者内末席だったから。

 

私は大学の近くの古い寮に住むことになり、徒歩で通うことにした。町を出るとき、都会に出て一人で生活を送ることができるのは好都合ではあるが、大学へ毎日通うために都会暮らしを送るのなら、詩を書くのに適した、自然と人間が一致した山奥で暮らしたいと思い、自分の居場所が毎場面で尽く不適切であることを感じた。

 

いざ大学へ通い始めると、以前にも増して人脈が繋がり始めた。まっとうな人生を送り将来成功するには最適な場所であると思った。しかし、私が人生に求めていたものは異なっていた。まともな一生を送るよりも危険を冒してでも高嶺の花を掴み取りに行くような人生に憧れた。大学での講義は興味のあるもの以外は全てくだらなく、つまらなくみえ、机を並べて熱心に学んでいる生徒が馬鹿らしくみえた。ときには、睡眠にふけっている生徒の方が良い人生の時間の使い方をしているようにも思われた。大学での何もかもが色あせてみえ始めた傍で、私は寮の部屋では一人でひたすら詩を書いていた。人生を俯瞰した詩や、花鳥風月をありのままで描いた詩である。とりわけ傑作なように思えたのは、このまま人間として無情に、理解もされずに生きていくのならばいっそ魚になって水中から脱して死んでしまいたい、といった趣旨の詩であった。当然、自分の哲学は誰にも理解できないと悟っていたため、他人に詩を見せるようなことは断じて行わなかった。

 

紫陽花が満開を迎え、雨が頻繁に降り始める頃、いつものように卒業するために惰性で講義を仕方なく受け、寮へと帰る途中に私は初めて酒場に寄り道した。それまで、店の存在に気づいてはいたものの、中は明るく、自分のような人間が入るような場所ではないと察していた。私は隅の席で、一人でブドウ酒を呑んだ。程よく酔ってきたところでその日は帰路についた。

 

翌日、大学の帰りに私はまた酒場へ行った。連続で赴いたので、顔を覚えてくれていた人たちに誘われ、輪に入り杯を交わした。ほとんどはすでに酔っており、平静を保っている人はいないように思われたので、私も少しはしゃいだ。

 

それからというものの、手慣れた私は頻繁に酒場に通い、夏休みに入る頃にはお調子者になっていた。私は、酒神が現れる境界線を判別できるようになり、わざと大酒を呑み、別世界へと誘われていた。酒神に取り憑かれている間は幸せを感じられた。理性が外れ、物と人の区別がつかなくなり、心から自我を超越することができた。今の自分なら過去の偉大なる作品を凌駕した詩を無限に書き続けられ、大学など退学した方が大成することができる、とさえも思えた。しかし、次の日の昼頃に目覚め、酔いがさめた頃にはいつも後悔するのであった。さめない酔いはなく、真の人間になった後、必ず人間は自然から分離され、装いの状態へと戻るのである。

 

ふと、数時間憂鬱に浸った後でまた酒場で有頂天になることを繰り返す毎日を知ったときの両親の顔を想像すると、このまま自殺して何もかも消してしまう方が良い、と思った。突然死神が舞い降り、私の首を締めてよいかどうか聞かれたら、迷わずに肯定したであろう。死ぬこと自体は望んでいたが、死に対する孤独感や一瞬かつ永遠なる痛みには相応な対価を感じていなかったので、とにかく楽に死にたかったのだ。

 

好都合に死ぬことができず、快楽と絶望を交互に行き来しているうちに、私はアルプスに彼女と登ったときのことや、受験の際に親戚の家に泊まったときのことを思い出した。キスをしたこと、感化されたことを巡らせているうちに、私は徐々に郷愁の念にとらわれ、涙を流した。都会で精神的に不安定な生活を送るより、自然豊かな、長年過ごした故郷で詩を書き続ける方が私には相応しいのだと思った。

 

すぐに実家に連絡し、退学の意志を伝えると、父親は激怒し、母親は呆れた。卒業するために入学したのだから、絶対に退学してはいけない、と怒号を飛ばされた。私は無視をして、電話を切った。学生課へ行き、退学届を受け取ると、素早くサインをし、名字を捺印して、提出した。これにて学問との縁は完璧に絶たれた。私はこの行動が正解だったとは言えないし、不正解だったとも言えない。ただ一つだけ言えるのは、一見、反逆のように見えるこの行動も実は運命の道をただ進んだだけの行動である、ということである。

 

自分の内的に、腫れ物のように膨れ上がる感情に任せて生きるのが、最も運命に沿った生き方である。どんな行動を起こそうと、それは最初から決められていたことであり、誰かに口出しされることさえも例に漏れないのである。私は超人的な宇宙の流れに流され、なされるがままにこれからも生きていくのだろうし、他の人間もまた同じように流されていくのである。