一点集中型の人間はリスクが大きい〜リスクを下げる分散投資の概念〜
こんにちは。さとえ(@satoe_chan_)です。ブログを初めてからまだ数日しか経過していませんが、徐々に閲覧数が増えてきていて嬉しい限りです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
さて、今回は何事も一点特化することはリスクになり得る、という話をしていきます。
はじめに
一週間前くらいに開会式を挙げてから、メディアは平昌オリンピックの話で持ちきりです。Twitterでは毎日のようにオリンピックのことがトレンド入りしていますし、僕のアカウントのタイムラインでも、オリンピック関連のツイートが目まぐるしく流れてきます。
そこで、僕は次のような趣旨のツイートを目にしました。
「羽生選手や宇野選手はフィギュアスケートのみに人生を捧げてきて、結果をしっかりと残すのはすごい」
ツイート以外でも、一つのものに人生を賭けてオリンピックに出場している選手を礼賛するといった意見が少なからず耳に入ってきました。
数多くいる、あるスポーツの競技人口の中の上位わずか数人しか出場できない大会に出る選手はもちろん凄いし、人生をかけて何か一つのものに集中するということはとても素敵なことですが、実はそこには大きなリスクが存在するということについて書いていきたいと思います。
人生を一つのものに賭けるということ
結論から言うと、何か一つのものに人生を賭けて取り組むということは非常にリスクがあります。
それはどうしてかというと、最終的に極めて期待値の小さいギャンブルになるからです。
オリンピックの例でいえば、当然、オリンピックに出場するには競技人口の上位数名に入らなければなりません。
しかし、オリンピックに出場したからといって誰の目から見ても明らかなスーパースターになれるとは限らないし、有名になれるとも限りません。例えば、あなたはボブスレー日本代表の選手の名前を言えますか?
オリンピックに出場してある程度有名になるのは、そのスポーツが流行っている時世に出場した選手であったり、マイナースポーツでも優勝した選手であったりします。フィギュアスケートの田中刑事選手は15位でも知っている人が多いでしょうが、スキージャンプで7位となった小林陵侑選手は知らない人が多いでしょう。
このように、オリンピックに出場したとしても有名になることができずに終わったり、やっとそのスポーツで食っていけるレベルに達するだけの選手がいたりします。
上位数名に入ってオリンピックに出場するのさえ大変なのに、出場したとしても、もしそうなったら今まで自分がしてきたことについて考え直してしまいますよね。そうなると、今まで技術獲得などにかけてきた時間はほぼ無駄になってしまいます。ウエイトリフティングの選手が、筋肉があるからといってボクシングでも強いかといったら、そうではありません。結果を残せなかったら、ウエイトリフティングの技術獲得にかけた時間は無駄になってしまいます。
こうして、ある競技の中で上位数名に入るだけでも多大な努力、環境や遺伝による才能、そして運などが噛み合わないといけないのに、上位数名に入ったとしても、さらにスポーツの流行の運だったり、メンタル管理だったりが必要になります。
これは、スポーツ以外のことに関しても、競技である限り全てに適用できると考えられます。
つまり、一つのことに人生を賭けるということは、ギャンブルなのです。
これはいくら馬鹿な人が考えても明らかなことでしょう?
分散投資の概念について
そこで、人生のギャンブル化をできるだけ無くす方法として、分散投資の概念が考えられます。
『分散投資とは、投資金額を分散していくつかのものに投資する手法である。』
これは、お金だけでなく、すべてのことに適用することができると思います。
もともと、分散投資というのは、例えば株についていうと、ある1銘柄だけにすべて投資するのはハイリスクであるから、投資先を複数銘柄に分散させてローリスクにする、といった意味合いの概念です。1銘柄だけに投資するとそれが下がったら損するし、上がったら得をする、ということになりますが、複数銘柄に投資すると1つの銘柄が下がっても他が上がっていれば得をします。金銭的な投資の世界では分散投資は当たり前に行われています。
他の例を出すと、サイコロを6回振った時にそれぞれの目が1回ずつ出る確率は小さいですが、無限回振った時にその確率は限りなく1に近づかせることができることと似ています。
さて、「人生を一つのものに賭けるということ」の項で結論づけたことは、一点集中はリスクが大きいといったことでした。
このリスクをできるだけ小さくするには、リスクを分散すればよいです。つまり、人生において、お金や時間を分散投資すれば良いのです。
例えば、大学受験を例にとると、数学が好きだからといって数学で毎回100点を取れる能力を身につけたとしても、他の教科が疎かになっては複数教科受験の大学に受かりにくいです。一点特化型よりもすべての科目を80点まで底上げした方が、受かりやすいですし、80点を100点にするよりも、60点を80点にする方が楽ですよね?
これは別の話かもしれませんが、数学だけができる、といった能力は確かにかっこいいかもしれませんが、プライドばかり気にしすぎると本末転倒になります。
スポーツを例にとると、人生を水泳に賭けるよりも、体を思うように動かすという能力や、持久力を鍛えたりした方が他のスポーツにも対応できますし、トライアスロンの選手になれるかもしれません。
また、分散投資では、あらゆる物事に対応できる可能性が上がる(一本が崩れただけで終わらない)他に、「自分の強みが複数個存在する状況を作り出せる」といった、分散投資それ自体のメリットも存在します(総合力が上がることは、リスクが分散されてギャンブルになりにくくなるということなので、表裏一体ではありますが)。
ここまでくれば、どんなに救いようの無い馬鹿からしても、100点のものを1つ作る人生よりも、80点のものを複数個作る人生の方がローリスクなのは明らかでしょう。
さいごに
羽生選手や宇野選手をはじめとした、オリンピックで活躍されている選手は本当にすごいと思います。一方で、輝いている選手の裏には何千人、何万人もの活躍できなかった選手がいます。
一点特化して全てが噛み合った選手のみが輝けるのであって、輝けなかった選手の方が圧倒的に多いのは明らかです。
オリンピックは我々に歓喜や希望を与えてくれますが、それに影響を受けて何かの分野に一点特化すると言う人がもしいたら、それは少し早計かな、と思います。
そんなことをふと考えてしまいました。